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市民の情熱で復元。こだわりの本格木造天守閣

実は、天守閣復元は簡単に実現したものではありませんでした。最初に動きがあったのは、なんと昭和40年代。その頃には全く実現に至らず、市民は長年夢を描き続けていたのです。
それが現実味を帯びたのは昭和62年(1987)のこと。事の始まりは、1市民による多額の寄付。東京から掛川に移り住んだ白木ハナエさん(天守閣復元の1年後、平成6年=1994逝去)が、掛川市に約5億円もの寄付を申し出たのです。理由は、掛川市が生涯学習都市を旗印に掲げていたことに深く感心したから。この多額の寄付がきっかけで、復元の機運が一気に高まりました。平成元年(1989)に天守閣建設推進委員会が発足。復元費用の寄付を募る運動が展開しました。その結果4億6千万円余もの浄財が寄せられることに。これで総工費約11億円のほとんどが集められ、長年の夢が実現することとなりました。
当時の榛村市長は、全国初となる木造での復元に強くこだわりました。そして建築材には、耐久性に優れた天然青森ヒバを使用することになり、復元工事には全国から腕利きの職人が集められました。
再建は市民参加の大事業。平成6年(1994)4月の竣工式までにさまざまなイベントが開催され、大いに盛り上がりました。その一つが平成4年(1992)3月に行われた里引き。青森から掛川駅に到着した長さ8メートル、重さ約1.3トンもの巨大なヒバが、市民の手により運ばれました。
白く美しい天守閣は、掛川市民の情熱の結晶であり、街のシンボル的存在で今なお愛され続けています。

 

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▲市民が参加した里引き