トピックス

落城伝説と津波8早雲侵攻、民衆が記憶

伊豆各地に落城伝説が残されている。早雲の伊豆征服が短時日に成ったとすれば、落城伝説は生まれなかったのではないか。落城伝説が各地に残っているのは、早雲の侵攻戦という大事件が伊豆の民衆に長く記憶された結果だとみることができる。

早雲の侵入経路図と伊豆の城郭配置概念図

早雲の侵入経路図と伊豆の城郭配置概念図

伊豆各地の落城伝説

伊東市宇佐美の初津地区には、落ち武者がそこで落命したという場所に塚が築かれている。
伊東の鎌田城でも荻入口の辺に夜鳴き石という岩があり、そこで落ち武者が落命したので、夜ごと悔しいと亡霊が泣くそうである。鎌田城では攻城側の陣所が松川を隔てた対岸の門野にあり、そこに土塁(どるい)が構えられて矢(や)戦(いくさ)が行われたという。また、小旗の竿や矢が松川を流れ下ったことで村人は城が落ちたことを知ったという。また同じ松川には「鐘(かね)が渕(ふち)」という場所があり、鎌田城の落城の際に陣鐘(じんがね)が沈んだ所だと伝承されている。
河津城の白米伝説は、以前に記したが、山城であるために篭城戦で水に窮したことは想像される。鎌田城に伝わる白米伝説は、水が豊富にあるように見せかけるために山上の空堀の中に米を撒いて敵の眼を欺(あざむ)いたというものであった。
伊豆市柿木小白沢の若宮八幡神社の社宝は、狩野城から落ち延びた姫たちが携えた鏡であるという。また、落城した狩野城内の姫たちは、夜陰に落ち行く時、女の足で山中をさまようことに絶望し、狩野川で入水自殺を図ったという淵(ふち)の伝承地もある。

深根城の伝説

下田の深(ふか)根城(ねじょう)の伝説は、落城の際、立て篭もった女子どもや僧侶まで千余の首が城の周囲にさらされたという恐ろしいものである。長い攻防戦を続けてきた足利茶々丸は、この深根城の合戦で決定的な敗北を自覚し、近くの龍(りゅう)巣院(すいん)で自決にいたった。城の近くに、茶々丸の妻の供養塔と共に祀られたという。
また、河津町梨本には深根城主関戸(せきど)播磨(はりまの)守(かみ)の供養塔が所在する。この供養塔は、旧街道の路端にあり、もう一息で天城峠を越えられるという場所にある。関戸播磨守は、津波で壊滅的な被害を受けてしまった伊豆から脱出して、再起を図る意図をもってここまで落ち延びたのであろうと想像させられる。
こうした落城伝説は、人名や年代などの具体的な内容が失われて、代わりに有名な歴史上の人物につけ変えられてしまっていることも多い。このため、伝説だけでは合戦や落城の事実は確定できないし、正確かどうかも分からない。
しかし、伊豆各地の落城譚と発掘調査の結果とを対比し、さらに文献史料と照合すると、北条早雲が伊豆へ侵攻し、旧来の伊豆の武士勢力を駆逐(くちく)していった一連の戦乱時に起こったさまざまな厳しい事実が落城伝説として語られているように感じられる。落城伝説に年代観を加えて再度検証することは、近年の研究蓄積がもたらした新しい見方といえよう。

(日本考古学協会会員 金子浩之)

伊豆新聞/熱海新聞/伊豆日日新聞 平成23年11月6日 日曜版掲載