静岡戦国奇譚

中部伝承焼津市
焼津市将軍家定と竹の子岩

江戸時代、焼津から府中(静岡市)へ行くのに、大崩海岸の波打ち際を通る道がありました。ある時、十三代将軍徳川家定がここを通り、美しい景色がたいへん気に入って、そこにあった竹の子岩を駿府のお城へ運べないものかと言い出されました。
むずかしい問題を出された家来たちは、この大きな岩をどうして運んだらよいものかと、いろいろ考えにまよいました。船で運ぶことはとてもむりだし、かといって波の打ちよせる海岸の道を荷車にのせることもできません。
さて、どうしたらよいかとこまっていると、ある者が、
「岩を三つに割り、空き樽を岩にくっつけ、海に浮かべて用宗まで運び、そこから陸地を運んだらよいだろう。」と言いました。
さて、ようやく運ぶ方法も決まり、さっそく府中のたる職人に何百個もの四斗樽を作らせ、運ぶ人を集めて、準備を始めました。
いっぽう、村人たちはこの話を聞き、たいへん不安になりました。竹の子岩は、遠い昔から祖先の人々が毎日の暮らしの中でながめ、大切にしてきたものだったからです。いまさらこの親しみの深い竹の子岩を運び去られるのは、たいへん残念なことだと思いました。しかし、天下の将軍さまのご命令とあっては、あきらめるほかありません。
準備もととのい、いよいよ運びだそうとしたときのことです。今まで静かだった海が急に荒れだし、雨まじりの強い風が吹きつけて、岩を運ぶことができなくなりました。そのうち、風雨のやむのを宿で待っていた職人たちも、一人帰り、二人帰り、いつのまにか一人もいなくなってしまいました。
さて、この時代は江戸幕府の力もおとろえ、また各地に大地震が起き、めずらしい岩を楽しむ余裕もなくなり、竹の子岩を駿府のお城に運ぶ計画も、いつのまにか取りやめとなってしまいました。
こうして竹の子岩も、ふしぎな風と雨のおかげで、今も昔のように大崩の海岸に立ち、人々の目を楽しませています。

出典/「やいづの昔話」焼津市