静岡戦国奇譚

中部伝承焼津市
焼津市中村の川守藤兵衛

天正年間(1573~1591)、徳川家康と武田勝頼は、駿河、遠江、三河などで戦いをくり返していました。焼津でも、激しい戦いが行なわれました。
このころ、今の焼津駅の北川の中村というところに、藤兵衛(とうべえ)という、昔からここに住んでいる武士がいました。藤兵衛は知恵と勇気のある立派な武士でした。
ある戦いで藤兵衛は、家康の軍に加わり、瀬戸川を渡ることになりました。そのころの瀬戸川は、あしが生い茂り、川の幅も広く、水も多く、簡単に渡ることはできませんでした。そこで藤兵衛は戸板を水の流れの中に立て水の勢いをゆるめ、家康が乗った馬のたずなを引き、無事に向こう岸まで渡すことができました。
家康は藤兵衛の知恵と勇気をほめ、藤兵衛に「川守」の姓を与え、その後正式に徳川家の家来としました。
さて、徳川の家来となった藤兵衛は、ある時、武器を運ぶため、船を指揮して伊豆の沖を航海していました。ところが、突然の風雨のために、船はこわれ、沈んでしまいました。ようやく海岸まで泳ぎついた藤兵衛は、責任をとって切腹して死んでしまいました。
これを聞いた家康は、藤兵衛をかわいそうに思い、15歳になる藤兵衛の子、弥八郎(やはちろう)を江戸城によんで家来にしました。
しかし、弥八郎は父の藤兵衛にくらべ、性格もおとなしく、武士のつとめがはたせないまま、いつか焼津に逃げ帰り、百姓になってしまいました。
その後、家康は将軍をゆずり、駿府のお城に住むようになりました。そしてある時家康が鷹狩りのため、焼津をおとずれました。
「さて、ここには藤兵衛の子、弥八郎がいるはずだ。」
と、その家をたずねることになりました。このことを知った弥八郎は、江戸から逃げ帰った自分をつかまえに来たものと思い込み、そっと裏口から出て、そのままどこかへ逃げてしまったということです。

 

出典/「やいづの昔話」焼津市