静岡戦国奇譚

中部伝承焼津市
焼津市相良城の社の石の扉

江戸時代の中ごろのことです。幕府の老中として強い力を持った、田沼意次(たぬまおきつぐ)という人がいました。意次は相良(榛原郡相良町)の5万7千石の殿様となり、お城を築くことになりました。
そのことを知って、たくさんの大名が意次のごきげんをとろうとして、いろいろなものを寄付しました。こうした立派な材料で完成した相良城は、海から見るとまるで竜宮城のようだったといいます。
しかし、意次が老中をやめさせられたため、相良城はわずか十年ほどで、取り壊されてしまいました。今では、萩間川(はぎまがわ)の石垣が残っているだけです。
ところが、焼津の町に相良城をしのぶことのできるものがあります。それは小川の教念寺(きょうねんじ)の子育地蔵尊(こそだてじぞうそん)の後ろ側にある、三枚の石の扉です。扉には、こま犬と鶴の絵が彫られています。これは相良城の本丸にあった、地の神さまの社の扉だといわれています。
どうして焼津にあるのでしょうか。それにはこんなお話が伝わっています。
そのころ、田沼氏とも関係のあった焼津の船問屋の岡部屋さんは、お城がこわされて、りっぱな社も海に捨てられてしまうのはもったいないと思って、焼津へ運ぶことにしました。さっそく社の四本の柱と、四枚の扉を船に積みこんで、出発しました。
相良の港を出てしばらくしたとき、空が急に暗くなり、風も強くなって海が荒れだしました。まもなく雨もふり出し、大しけになってきました。船は木の葉のようにゆれ、なんども波にのまれそうになりました。
船頭は、「これは、きっと地の神さまのおいかりじゃ。だが、せっかく積みこんだものを、みんな海に捨ててしまうのはもったいない。」と、柱ととびら一枚を海になげ捨て、命からがらようやく焼津の港につきました。
岡部屋さんは、自分の家に持ち帰ろうとしましたが、なんとなく気持ちが悪かったので、
「そうだ、いっそのことお寺に寄付しよう。」
と、三枚の石のとびらを教念寺に運びこんで、さっさと家に帰ってきたそうです。
こんなことから、今でも三枚の石のとびらが教念寺にあるということです。

 

出典/「やいづの昔話」焼津市