静岡戦国奇譚

中部伝承焼津市
焼津市小川城の財宝

永禄11年(1568)の冬、雪まじりの雨の夜のことでした。甲斐の武田信玄は、小川城を攻撃し、勝利をえました。城主の長谷川正長はどうにか逃げましたが、「いつかは、こんな日が来るだろう」と思って、これより前に財宝を石棺(死んだ人を入れる石のかんおけ)に納め、お寺に埋めておきました。
このお寺は、法永長者が建てた西光寺というお寺で、そのころは広くて、りっぱなお寺だったそうです。本尊は阿弥陀如来と延命地蔵尊で、本尊の指先から二百歩ほどはなれた所に、財宝が埋められたといいます。このことは、本尊の背中から出てきたお経と文書によってわかったそうです。
その文書には「この石棺を、もし開く者があれば、何代も不幸が続くであろう」という意味のことが書かれていました。そんなわけで、この石棺を探そうとする人は、一人もいなかったということです。
年寄りの話によると、石棺が埋められていたあたりを足でふむと、トントンという音がして、鉄の棒をさしこんでも通らなかったといいます。
しかしこの土地も、昭和26年からの土地改良で形がかわり、寺の本堂もしばしば火災にあい、新しく建てられ位置が変わってしまったので、本尊様の指さす場所も変わってしまいました。財宝を埋めた場所は、本尊様だけが知っているということになるでしょう。

 

出典/「やいづの昔話」焼津市