静岡戦国奇譚

中部伝承焼津市
焼津市寄鼻古戦場と青木さん

天正6年(1578)から10年ごろにかけて、当目山(虚空蔵山)のふもとで、武田勝頼の軍と徳川家康の軍が、何回となく戦いをくりひろげました。
ある時のこと、家康軍三万の兵と、武田側の用宗城主・朝比奈氏季(うじすえ)の軍が戦いました。武田の家来の中に須藤左門(すどうさもん)という強い侍がいました。この日も四十騎ばかりの敵を討ち取り、つづいて石川大隅守右京(いしかわおおすみのかみうきょう)という武将と戦いはじめました。
逃げる右京を青木の森に追いつめたとき、左門は木の根っこにつまづき、ドーッとばかりたおれてしまいました。右京がこれ幸いとばかりに切りかかろうとすると、左門は、「なんじ、武士の情けがあるならば、われ起き上がってのちに堂々と戦え。」と叫びました。右京はこれを聞き入れず、ついに左門を討ちとってしまいました。
左京は左門を討ちとった手柄により、駿府城の守りをする役につき、しばしば東海道を往来することがありました。ところが、いつも岡部宿(おかべのしゅく)あたりまでくると、なにか胸さわぎがするのです。心配になって岡部宿の易者に占ってもらうと、「先に討ちとった左門の霊がたたっている。三輪(岡部町の三輪)の石で碑をつくり、当目の寄鼻というところにまつれば許されるであろう。」といわれました。
右京はさっそく三輪の石で高さ七十センチぐらいの祠(ほこら)をつくり、寄鼻に運ぶことにしました。
人夫にかつがせ、青木の森まで来たときです。不思議なことに急に祠が重くなり、一歩も進むことができなくなってしまいました。しかたなく右京は、祠を森の中に建てることにしました。きっとここが、左門の最後の地だったのでしょう。
今では青木の森もなくなってしまい、石の祠も浜当目の那閉神社の境内に移されています。
そして「青木さん」とよばれ、赤ちゃんの夜泣き、ひきつけにききめがあるということで、近くの人々がおまいりに来るようです。

 

出典/「やいづの昔話」焼津市