静岡戦国奇譚

富士市東部伝承
富士市富士川の主

徳川家康が東海の豪族であった頃の話です。相模(さがみ)の中島(なかじま)村に住んでいた家康の妹が、三河(みかわ)竹谷(たけのや)の城主の所へお嫁に行くことになりました。家康は、家来の中でも、腕利の松平金次郎(まつだいらきんじろう)をお姫様のおつきに申しつけました。一同は富士川を渡るために、渡し場へ行きました。

船が川の中ほどにきた時のことです。どうしたことか、ぴたりと止まってしまいました。船頭は、真っ青になって金次郎にこう言いました。
「富士川の主です。この川ぞこに住む大蛇です。毎年三人ずつのいけにえをささげてきましたが、今年になってからは誰もいけにえになっていません。主にみこまれてはしかたがございません。この船にのっているだれかをいけにえにしなければなりません。」
「どうしていけにえを決めるのじゃ」
「みんなが自分の名前を紙に書いて川に流し、浮いた人はいいけれど、紙が沈んだ人は川の中に入ってもらわなければ、この船は動きません。」

やがて船頭の言うように自分の名前を書いた紙を流すと姫の紙がぐるぐるとうずをまいて川ぞこへ沈んでしまいました。船の中は大騒ぎになりました。
しかし金次郎はあわてずに
「姫君、その赤いうちかけをかしてください。姫の身がわりになって川にもぐり、人をくるしめる大蛇を必ずやっつけてしまいます」
と言うが早いか姫の姿になって短刃をもち、川の中に飛び込みました。
飛び込んだ金次郎は大蛇めがけて短刃をさしました。青い大蛇から赤い血が流れてきました。船はしばらくして動き出し岩渕の渡しに着くことができました。川下には大蛇にからみついた金次郎と大蛇の死体がありました。姫は金次郎を岩渕の清源院(せいげんいん)に葬りました。それ以来、富士川でいけにえをとられると言う話はなくなったということです。


出典/「こどもたちのほりおこした静岡県の民話と伝説 第2集」静岡県教育委員会