静岡戦国奇譚

伊豆市東部伝承
伊豆市武田の落武者

小下田(こしもだ)の中村に、「小井戸(こいど)」という地名があります。
ここには土屋という姓の家が数軒あって、この土屋一族の先祖は、甲斐の武田勝頼の家臣として勇名をはせた土屋惣蔵(そうぞう)だと伝えられています。
天正10年(1582)3月11日、武田家は滅亡の日を迎えました。織田・徳川の連合軍に追われ、天目山に逃れた勝頼に従う家来は、わずか40人に減っていました。土屋惣蔵は、最後まで勝頼を守って戦いました。刃をふるって追っ手の中に斬り込み、片手で多くの敵を倒し、その間に勝頼とその子・信勝が切腹するのを見届けると、彼も敵の真ん前で腹を十文字にかき切って死んでいったのでした。
その壮絶な最後は、「土屋惣蔵の片手千人斬り」として語り草となり、広く世に知られました。
惣蔵には、何人かの遺児がいました。遺児たちは散り散りになって各地へ落ちていきましたが、その中のひとり新左衛門尉(しんざえもんのじょう)は伊豆の小下田に流れてきて、小井戸の地に住みつきました。
たまたま隣の家に美人の後家さんがいました。新左衛門尉はこれを妻とし、百姓になったのです。
土屋本家の子孫は代々、新左衛門と長右エ門を交互に襲名し、三代、四代、五代目は小下田村の名主になりましたが、十代目のとき、東京へ引越して行ってしまいました。
小下田に残ったのは分家だけですが、その中で屋号を「片瀬」と呼ぶ土屋家も幕末のころ何代かにわたって名主を務めました。この家からは、囲碁の第十四世本因坊秀和(しゅうわ)が出ています。

出典/「郷土誌叢書第12集 土肥の昔話伝説」土肥町教育委員会