静岡戦国奇譚

御殿場市東部伝承
御殿場市短刀「人影」

御殿場市野中の旧家・小松家では、「人影」と名づけられた一振りの短刀を家宝として伝えています。この短刀に「人影」という名前がついたいわれが伝えられています。
永禄の昔、甲斐の武田信玄が大群を率いて、小田原の名将・北条綱成(ほうじょうつなしげ)の死守する深沢城を囲んだときのことです。
ここにひとりの郷士がおりました。名を清左衛門(せいざえもん)といいました。清左衛門はかつては武田家の家臣でしたが、今はわけあって御厨の深沢の里に妻のさよと共に平穏な日々を送っていたのです。さよは、小田原城主・綱成の遠縁に当る者でした。今度の合戦に加わっている武田の武将・真田源左衛門(さなだげんざえもん)は、その清左衛門の親友でした。
さて、「深沢城堅し」の報に焦った信玄は、源左衛門に命じて城の穴を探させました。
他国のしかも敵地で当惑した源左衛門は、かねての知己・清左衛門を訪ねて、抜穴の所在を聞き出そうとしたのです。
友情か、義理か―その板ばさみに清左衛門は悶々とした数日を過ごしました。
日々もの狂おしく悩む夫の事情を知ったさよは、「自分さえなければ、夫は武田方に功を立て、出世の道も開かれるものを…」と決心すると、嫁入りのとき父から授けられた短刀で、自害して果てたのでした。
しょせん猛虎のような信玄の精鋭にかなうはずもなく、綱成は一夜、ひそかに小田原に落ちていきました。やがて深沢城は、武田の城となったのです。
このできごとは、清左衛門を悲嘆のどん底にたたきこみました。彼はこれを機に、永く住み慣れた深沢の里を去って、寂寞(せきばく)たる野中の里にかくれるように移り住んだといいます。
時は流れて天正2年(1574)、妻さよの幾度かの命日がまた巡ってきたある日のことです。清左衛門は仏壇から妻のかたみの短刀を取り出すと、見事割腹して、亡き妻の後を追ったのでした。遺書には「吾、桓武平氏の嫡流(ちゃくりゅう)武田・北条の両者につく……」と、悲しく記されていたといいます。晩秋の風の澄み切った富士の美しい一日が暮れて、やがて明るい月が、東山の頂を離れようとする宵のことでした。
清左衛門が自害して一年、その法要の席で、夕日を受けた刀身に、亡き清左衛門の影がありありと浮かんだのを、一座の人々のことごとくが目の当たりにしました。
以来、清左衛門夫妻の悲しい愛を秘めた短刀は「ヒトカゲ」と呼ばれ、家宝として毎日供養が続けられています。



出典/「文化財のしおり第17集 御殿場の民話・伝説」御殿場市教育委員会

  • ※郷士…農村に住む(在郷する)下級武士のこと。
  • ※寂寞…ひっそりと物悲しいさま。