静岡戦国奇譚

下田市東部伝承
下田市上女尊(じょうなんさま)

上女尊は、箕作龍巣院(みつくりりゅうそういん)の本堂におまつりしてあります。村の人達は、上女尊(じょうんなさま)と呼んでいます。
この上女尊というのは堀之内の深根城主・関戸播磨守吉信(せきどはりまのかみよしのぶ)の奥方、「條の前(じょうのまえ)」のことです。條の前には、こんな言い伝えが残されています。
永享7年(1435)9月7日、深根城が伊勢新九郎長氏(北条早雲)に攻められた時のことです。お城に「伊勢の軍勢が西海岸松崎港に上陸し、深根城を襲撃する」という飛報が伝えられると、城主・吉信の家の子である郎堂はすぐに出陣の用意をして小松原峠(婆娑羅峠?)の辺まで進み、敵を迎え撃ちました。しかし多勢に無勢。次第に攻め立てられて退却せざるを得なくなってしまいました。ちょうどこの時、主君に急を告げようとして、走って来た家来の一人が、城内に入るいとまがなかったので、「敵軍優勢にして間近く攻め来る」という矢文を城内に射込んだのです。これを見た吉信は家臣が敵に内通したものと誤診して最早これまでと最後の覚悟をきめたのでした。
この時、気丈な「條の前」は単騎長刀を執って街道へ打って出られましたが、丁度生理時であったためふらふらと目まいを起し、落馬して人事不省に陥ってしまったのです。戦はいよいよ激しく、敵味方入り乱れての混戦となって、とうとう深根城は落ち、奥方「條の前」も落命してしまいました。
條の前が戦死した場所には榊の木が植えられましたが、今も條の前の勇猛さを語るかのように現存しています。そして、「女の病なら上女様(じょうなさま)に願をかければ必ずなおる。」と言われ、霊験あらたかなので、土地の人たちは言うまでもなく、遠くからお詣りに来る者も多いとのことです。

出典/「文化財シリーズ №3 下田市の民話と伝説 第1集」下田市教育委員会