静岡戦国奇譚

伊豆市東部伝承
伊豆市相磯主水と河童薬

ある日のこと、守清が患者の家を廻り帰宅しようとして、乗馬のまま狩野川の浅瀬に乗入れたところ、突然馬の尾をむんずと掴んで水中に引入れようとした怪しい者がありました。さては噂に聞く河童の仕業と睨んだ守清が、腰刀一閃、切りすてたのは、まがいもなく水掻のついた河童の手でした。はや瀬にのって流れ去るのを追いかけ、刀の先につき通して我家に持ち帰りました。
その夜も更けた丑三つ時、守清の枕元に片手の河童が現れ、泣く泣くこう語ったのです。
「貴方が武芸の達人であるとも知らず、いたずらをしたことは誠に申しわけありません。どうぞお許し下さいませ、その片腕を返してくれなければ、水を潜ることも出来ず、仲間の許へも帰れません」と片腕ついて詫びるのでした。
「日頃のいたずらをぷっつりと止めるなら、この腕を返さぬでもないが、切り捨てられたこの片腕は、今更どうにもならぬではないか」
「いいえ」と河童は守清の言葉をさえぎり、
「河童には代々伝わる疵薬がございます。この疵薬をつけてきっと元通りにいたします」と身振り手振りで説明し、その妙薬の作り方を守清に伝授したのです。
河童は守清から片腕をもらい受けるやいなや、枕元からぱっと消え去りました。守清がふと気づいたのですが、これは一場の夢だったのです。しかし枕元においてあった片腕はついに見当たらなかったということです。
妙薬かっぱ薬は守清の創製したもので、こうした伝説と共に相磯家相伝の秘薬としてその名も高く、今に伝っています。このかっぱ薬は相磯主水守清が子孫居住の地名をとって小塚のきず薬とも称し、疵の特効薬としてこれを求めて訪れる人が絶えなかったといいます。
相磯主水は晩年豊臣氏から山奉行に任ぜられ、山林の支配を任せられたといわれ、いわゆる虎の印という文書が同家に残っています。

出典/「町誌資料第4集 天城の史話と民話」天城湯ヶ島町教育委員会