静岡戦国奇譚

伊豆市東部伝承
伊豆市東のご前

豊臣秀吉から関白の職を譲られた豊臣秀次。その側室の一人に、東の御前というとても洗練された気品のある美人がおりました。さる公卿の姫君でしたが、好色横暴な秀次に見初められ、心ならずも意に従って側室となったのでした。贅を尽くした御殿の奥深く、翠帳紅閨のうちにあっても、意に添わない境遇に涙の乾く日はありませんでした。
秀次の乱行は日に日に募り、ついに太閤・豊臣秀吉の耳に入り、怒りを買うことになってしまいました。家老・木村常陸介(きむらひたちのすけ)は責を負って切腹して謝罪しましたが、秀吉の怒りは収まりません。秀次は高野山に追われて自ら命を立つことになってしまいました。そして、残された多くの妻妾は、京の四条河原に引き出されて、無惨にも斬殺されてしまったのです。
この時、東の御前だけは、その処刑をまぬがれました。その境遇の哀れさに事のなりゆきを察した常陸介が、死に先立って心きいた家臣の一人を共につけて密かに都を逃れさせたのです。それから東の御前は、東へ東へと厳しい旅を重ねていきました。そして、伊豆は船原の里、林金の地に辿りついた頃は、長い旅の疲れで一歩も動けなくなってしまいました。土地の旧家山口家に身を寄せて都恋しさにわびしい朝夕を送っているうちに、ふと病の床に臥しあえなく世を去ってしまったのです。
山口家では尊い身の余りの痛ましさに、手厚く葬りました。その跡にささやかな社を建てて祀り、その冥福を祈ったということです。
それから歳月は流れ、日影の宮とよんで里人に崇敬されていましたが、明治の始め村社高皇霊神社(そんしゃたかみむすびじんじゃ)に合祀されました。社殿の跡は今も下船原字山口に続く常磐山の麓に残っています。

翠帳紅閨…すいちょうこうけい。高貴な婦人の寝室のこと。深窓の令嬢の生活のたとえ。

出典/「町誌資料第4集 天城の史話と民話」天城湯ヶ島町教育委員会

  • 翠帳紅閨…すいちょうこうけい。高貴な婦人の寝室のこと。深窓の令嬢の生活のたとえ。