静岡戦国奇譚

浜松市西部伝承
浜松市三日の長者(三ヶ日町 三ヶ日)

今の三ヶ日町の三ヶ日という所は、大昔は英多(あがた)といい、次に「中野郷」と呼ばれました。三ケ日となったのは、慶長年間(1600年ごろ)からと伝えられます。
そのころ、この地方の長者、安形刑部左衛門という人は、たいへんに漁が好きだったといいます。しかしその漁法は、池の水をかえ干にして、魚を拾い取ることでした。
「よし、今日はあの池をやれ」
家の召使をつれて、方々の池をかえ干ししては漁を楽しんでいました。
ある時、川崎神明社の西の、大池のかえ干しをはじめました。神明社は、式内郷社英多神社のことで湖西湖北地方では、最も古い神社であるだけに、そのそばの池も、水の多い大池でした。
「もっと人を集めてきてやれ」
安形刑部左衛門は、村の人を大勢雇って来て、三日三晩も池の水を汲み続けました。しかしこの大池は水が少しも減ることはなく、いよいよ澄みきってくるだけだったのです。大きな池だけに鯉も鮒もたくさんいるかと思うと、彼は残念でなりませんでした。
仕方がない。さすがの彼もようやく思い止まって、
「よし、止めだ。」
と中止しました。それ以来、彼のことを、
「中之郷の三日池長者」
というようになり、近隣の村の人達も三日の長者といい、それがいつか土地の名となって
「三ヶ日」となったということです。


出典/「三ケ日町のむかしばなし」三ケ日町教育委員会

  • ※かえ干…干上がらせること