静岡戦国奇譚

浜松市西部伝承
浜松市獅子神様(三ヶ日町津々崎)

昔、三ヶ日町の津々崎に「獅子神様」という小さな社がありました。実はこの社には、とても痛ましい物語が残されているのです。
時は永禄11年(1558)。永禄3年(1560)に桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、遠州が混乱を極めていた時のことです。三ヶ日町都筑を治めていた佐久城の城主は、文和年間(1352)から200年の間、地域第一の豪族だった源頼政の子孫である浜名備前守一族が代々務めていました。領地は安定していたのです。しかし、すでに世は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、武力のあるものの勝つ戦国時代。名門の家柄とて、安閑としていることは出来ませんでした。実際に岡崎の家康は、遠州に食指を動かし、順次に兵を進めてきていたのです。
そして永禄11年11月、ついに徳川家康は配下の重臣、酒井忠次に命じて、この佐久城を攻めさせました。
初め酒井忠次は
「天下は今や、織田、徳川のものである。一刻も早く、徳川方の指揮のもとに入れ。」と降伏を迫ってきました。
しかし時の城主・浜名左衛門佐政遠は、今までは今川氏に属していたのに、そう安々と寝返りすることは武士の本領ではないと考えました。
それで政遠は、城兵達を集めて軍議を開いたのです。
「いかにしたものであろうか。」
すると家臣からは様々な意見が出てきたのです。
「今川義元は、すでに8年前の永禄3年(1560)に桶狭間で戦死。その子の氏真が継いでいるとはいえ、力は弱くなっている。いつまでも昔のことを思っていなくても・・・・」という者もいれば、
「しかし、徳川氏はまだ、海とも山とも分からない。それに隣の宇津山城も、気賀の堀川城も、家康には敵対している。徳川方につくべきではない。」と言う者もありました。どちらも一理あり、意見がまとまらないまま日は過ぎて行きました。とうとうしびれを切らした酒井忠次は、3000の兵をもって佐久城を包囲し、攻撃を始めてきました。
「今は仕方がない。」と城主浜名政遠は、応戦するにはしたのですが、両論があっただけに城兵の士気は揚がりませんでした。また、城兵も少なく、酒井軍を迎え撃つほどの力もなかったのです。夜陰にまぎれて逃げる者も出始め、浜名軍はどんどん劣勢になってしまいました。すると城主浜名政遠は、ある夜部下二人と共に、城を捨てて出ていってしまったのです。
この時城主には一人の姫がありました。姫は勇敢にも、
「何、逃げるものか、私一人でも戦おう」
と太刀をもって戦ったのですが、敵うはずもありません。ついに斬られて、首は浜名湖に捨てられてしまいました。
姫の首は流れ流れて、その数日後、猪鼻湖の一角、津々崎の川原田にある一の地蔵があるほとりに流れつきました。
これを見た津々崎の住人、百姓・清左衛門は、
「おお、これはたしかに、城のお姫様だ。」
と拾って丁寧に箱に納めておきました。するとその夜、お姫様が夢に現れたのです。
「清左衛門よ、有難う。できれば私を獅子神としてまつってくれぬか。きっとお前の家に、いい運をさずけてやろう。」
清左衛門はびっくりして、翌朝すぐ一の地蔵の上、貴布弥神社の八合目に懇ろ(ねんごろ)に埋葬しました。そして、ここに小さな祠を作って、「獅子神様」としてまつったのです。その後この社は、白山山の方に移したともいわれています。

出典/「三ケ日町のむかしばなし」三ケ日町教育委員会