静岡戦国奇譚

森町西部伝承
森町金堀り山

ある戦でのこと。武田信玄に敗れた徳川家康は、戦場を逃れて敗走しました。その途中で家来たちを見失い、ただ一人になって三倉に逃げこみました。追いかけてくる敵から生命を守るため、農夫の助けをかりて山の中へ逃れました。山中をさまよっているうちに片吹の北、峰一つへだてた裏山の頂上にたどりつきました。ここは、広く平らなところで見はらしもよくきくので、敵の動きを見はることができる場所でした。
ここで一休みしようと思い、木の切り株に腰をおろしていると、ちりぢりになった家来たちが集まってきました。やがて、その中の一人の武将が進み出てきて、家康に向かってこう言いました。
「殿は、ここからただちにお逃げください。敵は近くにおります。いずれ見つけられるでしょう。それがしは、しんがりをつとめ、この地に敵をくいとめます。そのすきに一刻も早く……。」
家康は、首を横にふって何か言おうとしましたが、家来たちがせきたてるので、心ならずもその言葉に従うことにしました。
その武将は、ただちに付近で炭焼きをしている村人たちや片吹の地区からは菰(こも)を集めてきて、四方に張りめぐらし、いかにも名ある大将の陣営のように見せかけました。そして自分は中央の床几(しょうぎ)に腰をおろし、数少ない家来を左右に従えて敵の攻撃に備えました。
「決して討ち死にするなよ。危くなったらすぐにでも逃れて、われらの後を追え。」
家康はそう言い残し、わずかな家来をつれて涙をうかべながら立ち去って行きました。
まもなく、この地には、激しい戦いがはじまりました。徳川方は、敵を恐れずつき進んでいきました。しかし、兵の多い武田方の攻撃はすさまじいものでした。戦いの後には、死体や武器が散らばり、張りめぐらされた菰(こも)はずたずたに切りさかれ、垂れさがって見るもあわれな陣地だったとのことです。
数日後、片吹の人たちは、戦いで死んだ武士たちをあわれみ、直径二メートルほどの穴を堀り、敵、味方の別なくうめ、その上に鎧兜(よろいかぶと)、やり、なぎなた、刀などをうずめ、ねんごろに弔いました。
菰(こも)を張りめぐらして戦ったことから、この山は「菰張山(こもはりやま)」と名づけられました。後になって「こま張り」と呼ぶようになりました。
この戦で死んだ武士や武器をうずめた穴のまわりには、痩せたぜんまいが生えていますが、穴の上には草も木も生えず、赤土の地はだをみせています。この上で強くとびはねると「ゴンゴン音がする」と言われたこともあったそうです。
片吹の人たちは、ここを「金堀り山」とも呼び、掘ったり、つついたりすると、たたりがあるといっておそれていました。
いつのことだったか、そこの外まわりとまん中に、松の苗を植えた人がいましたが、まわりの松が根づいたのに、まん中に植えた松だけは枯れてしまったそうです。


出典/「森町ふるさとの民話」森町教育委員会

  • ※床几(しょうぎ)…陣中・狩り場・儀式などで用いられた腰かけ。
  • ※菰(こも)…マコモやわらを粗く編んだむしろ。