静岡戦国奇譚

浜松市西部伝承
浜松市大福寺の納豆(三ヶ日町福長)

今から数百年も昔のお話です。ある時、引佐郡三ヶ日町の大福寺の和尚は、こう考えました。
「お寺で食べる精進料理は、毎日決まっている。同じ精進料理でも、何か風味のある変わった料理を作ってみたいものだ。それに貯蔵のきくものならなおいい。」
その頃、お坊さんは肉や魚を食べることを禁止されていて、食べられるのは野菜類だけだったからです。和尚は、いろいろと調理法を研究してみることにしました。
沢庵和尚が沢庵漬を発明したように、大福寺の和尚も中国の古書を参考にし、いろいろと研究しました。そして、大豆を蒸して麹をつけ、塩で漬け込んだ納豆なるものを考え出したのです。
「これだ、これだ。」
和尚はこれを喜んで食べました。そして、これを多量に作って、豊臣秀吉公に献上したこともあるのです。当時はこれを「唐納豆」と呼んでいました。
「唐納豆とは面白い。唐の国を収めて、我が口に入れて食べてしまう。これは縁起がいい」
と、秀吉公も大喜びして食べたということです。
そして徳川時代には、毎年将軍家に献上するために大福寺は納豆の賜田、五石三升三合を受けていたほどです。
この納豆はその後、大福寺で作る事から、「大福寺納豆」と呼ばれ、この地が浜名湖のほとりで浜名郡といっていたところから、「浜名納豆」とも呼ばれていました。今は略して、「浜納豆」となって、各地で製造され、その風雅な味は広く賞味されています。
この大福寺は、「瑠璃山大福寺」といい、有名な真言宗の古刹で、三ヶ日駅から北へ三キロ大福寺の部落にあります。
この寺の開基は、貞観17年(875年)といいますから、今から1100年も昔のこと。最初は、釈教寺が木の梢に仏の旗が翻って光っていたことから、幡教寺という寺を建て、これが後に大福寺と改めたとのことです。
この寺は、国宝など数々の宝物を蔵していることでも有名です。

出典/「三ケ日町のむかしばなし」三ケ日町教育委員会