静岡戦国奇譚

中部伝承静岡市
静岡市八人のさむらい

400年以上も昔、信濃の国に武田信玄の子・勝頼という大名がいました。その頃、尾張の国の織田信長と、三河の国の徳川家康の連合軍と勢力争いをしていました。両軍の侍たちは、三河の国の長篠で戦いました。武田軍は、ばたばたとたおれ、織田軍の勝利におわりました。戦に敗れた武田の侍は、それぞれ敗走していきました。
藁科川(わらしながわ)の上流の八伏山(はちぶせやま)にも、命からがら逃げてきた八人の侍がようやくたどりつきました。
清沢から八伏(はちぶせ)に登る道に見城坂という道がありますが、これは清沢にある小さな山城が見えたので、逃げてきた侍が泣きながらつけた名だといわれています。
逃げてきた八人の侍は、ケガも治り、元通り元気になりました。村人のすすめにより、山深くおりた谷間の下の杉尾(すぎお)に住みついて百姓をすることになりました。荒れ地を耕して作物を植えました。なれない仕事で、いやになった一人はとうとう逃げ出しました。
残った七人の侍は、その後、村の人たちとすっかり仲良しになり、この地でなくなりました。
村の老人の話しでは、今でもその七人のお墓が「七人塚」となって残っているということです。


出典/「こどもたちのほりおこした静岡県の民話と伝説」静岡県教育委員会