静岡戦国奇譚

浜松市西部伝承
浜松市犀が崖と遠州大念仏

元亀3年(1572)、徳川家康が浜松城に移ってまもない頃のことです。甲斐(山梨県)の武田信玄は京の都をめざして出陣。浜松城へと大軍を進めてきました。
風林火山の旗をなびかせ浜松城めがけて進んでいた武田軍でしたが、突然方向を変え三方ヶ原へ上がっていきました。家康は「武田軍が三方原を通りぬけるのをだまってやりすごしては……」と、兵士の数でも不利だったにもかかわらず、戦をしかけました。世に言う三方ヶ原の合戦です。
この戦で徳川方はさんざんな目にあい、浜松城へと逃げ帰ってきました。武田軍は浜松城まで攻め寄ってきましたが、城門が開け放たれ、ひっそりとしずまりかえった城内と赤々と燃えるかがり火を見て、気味が悪くなり兵をまとめ犀が崖で夜を明かすことにしました。
その夜半のことです。一矢報いようと徳川方は強い侍を選りすぐり、奇襲をしかけました。武田方は昼の勝ちいくさで気もちがゆるんでいたのでしょう。突然のことで逃げる方向を間違え、多くの侍や馬が犀が崖へ落ち込み、もがき苦しみながら死んでいきました。
信玄は家来の意見をとり入れ城を攻めるのをやめ、気賀(引佐郡細江町)を通り抜けて京へ兵を進めていきました。

それから何年かたち、犀が崖の近くに住む人たちは不気味な音を耳にするようになりました。武田方の死んだ侍のうめき声だの…死んだ人のうかばれない魂の恐ろしい声だの…と、ささやきあいました。
憐れんだ人びとは三河から宗円(そうえん)という立派なお坊さんを招き、犀が崖で死んだ侍の魂を慰めてもらいました。宗円は鐘と太鼓を叩き、念仏を唱えることを教えました。それからというものは、不気味なうめき声はなくなったということです。
この時の鐘と太鼓を鳴り響かせて踊る念仏おどりが、今日まで伝えられている「遠州大念仏」のおこりといわれ、遠州地方の名物の一つにも数えられています。

 

出典/「こどもたちのほりおこした静岡県の民話と伝説」静岡県教育委員会