徳倉城

とくらじょう
  • 名称とくらじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地三島市徳倉字中村
  • 様式平山城
  • 関連武将笠原新六郎範定

箱根山の山裾に築かれた平山城

『増訂豆州志稿』によれば、後北条時代駿河戸倉城(駿東郡清水町)主北条氏堯の家臣笠原新六郎の弟がこの城の城主であったと伝えられているとする。『小田原衆所領役帳』から考えると豆州土倉は箱根神領であった後、北条幻庵の知行地となったと考えられる。幻庵没年を天正17年(1589)とすると、駿州戸倉城の笠原新六郎範定が武田方に呼応したのが天正9年(1581)である。
『三島市誌』は『増訂豆州志稿』に言う津田兵部を城主とする。同書には天正5年(1577)の文書に北条氏直が津田兵部を徳倉城主とし江間領を与えたとある。これを豆州徳倉とすれば、すでにこの時期には存在したことになる。
近年宅地化が進む徳倉地区の東北、箱根山の山裾の標高80m、比高30m程の通称城山がそれである。明確な遺構は城山の南部の尾根上に分布するが、本来は八乙女神社のある西部の尾根から北西部の尾根のくびれ部までを含む一帯を範囲と考えても良いだろう。
遺構は南部の尾根上に位置し、保存は良い。主郭部は狭い尾根の背部に位置し北は幅5m深さ3m程の空堀にて区切る。郭は狭く南に延びるが、主郭の北端が一段高く土塁状の遺構と共に五輪、宝篋印塔が並ぶ。さらに南は今は半分埋没するが空堀によって区切られ、西に向って張り出した広い郭となる。この郭から約5mの比高で南に一段下の郭が広がる。北裾の谷部は沼のようなところだったと言う。
東裾に下屋敷の地名があると言う。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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