善得寺城

ぜんとくじじょう
  • 名称ぜんとくじじょう
  • 所在地富士市今泉
  • 様式平山城
  • 関連武将今川範政 北条氏政 武田信玄

連郭式の曲輪を持ち、城下町の形式をもつ本格的な城郭

関東管領の執事、上杉憲顕により善徳寺の前身である福王寺が建立されたようであるが、応永24年(1417)に今川範政により、その西側に善徳寺城が併設された。この後、北条氏康が富士平野を侵したおり、今川義元とこれに味方する武田信玄の三将が本城を和談の場としていることから、これを善徳寺の会盟と称しており、この会盟は弘治2年(1556)とも天文23年(1554)ともいわれる。永禄年間になり今川氏の疲弊とともに、北条氏と交渉をもつようになり、永禄11年(1568)に武田信玄が今川氏真を攻めたおり、今川方に味方した北条氏政と共に武田勢に当ったが翌永禄12年(1569)11月に本城は兵火にかかり灰燼に帰した。
現況では本丸部分に当るとみられる部分には日吉浅間神社が位置しているが、南側には物見台と推定される塔跡が、そのすぐ南には高さ10数mの高さを持つ石垣が残っている。また東300mほどには鍛冶町の地名も残っているが、宅地化が進み、当時の面影は、ほとんどない。
本城は富士平野から浮島沼一帯を一望できる愛鷹山の山麓末端部の台地上に位置しており、東海道の交通と同時に岳南平野の要衝の地にある。また善徳寺に併設された城にもかかわらず、連郭式の曲輪をもち、前述した鍛冶町をはじめとする城下町の形式をもつ、本地域でも本格的な城郭である。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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