沼津城

ぬまづじょう
  • 名称ぬまづじょう
  • 俗称・別名沼津新城
  • 所在地沼津市大手町
  • 様式平城

将軍徳川家治から城地を賜った水野忠友によって築城された平城

沼津城は、安永6年(1777)水野忠友が将軍徳川家治から沼津の城地を賜わり、築城を申し付けられたことにはじまる。沼津古城(三枚橋城)に対し、沼津新城と呼ばれ、安永7年から築城が開始された。
城跡は現沼津市のほぼ中心部に位置しているが、遺構の大半は壊滅してしまっており、中央公園(本丸跡)の南の石垣の一部を残すだけである。
城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸で構成され、同心円的に周る二重の堀と土塁・石塁が設けられていた。南東の東海道に接して、南に大手門、東に喰違い門が設けられていたが、搦手にあたる北側や西側にも門が設けられていた。二ノ丸と三ノ丸の境界には太鼓門があり、本丸と二ノ丸の境界にも諸門が認められる。
近年、ビル造築工事や下水道工事によって地下に埋没した遺構が発見されているが、計画性のない開発に伴う部分的な調査におわっているため、城の構造やプランについては、不明な点が多い。しかし安永9年(1780)4月に、築城について幕府に伺を提出した書類や沼津城図(沼津市立駿河図書館所蔵)、沼津城沿革図(駿東郡誌)によって沼津新城の大略を知ることができる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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