千福城

せんぷくじょう
  • 名称せんぷくじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地裾野市千福
  • 様式山城
  • 関連武将御宿正倫

葛山氏が駿東支配を始めた頃の拠点

本城内普明寺文書、元亀3年(1572)、見性寺(普明寺の以前の寺名)宛信玄判物に、寺中山林の件に関して御宿監物が当地を知行、葛山信貞と談合とあり、当城と関係のある人物であろうか。同じく天文14年(1545)、普明寺宛信玄制札には、当城について何も記せられていない。また駿河記には葛山勝吉、同長喜居城の地とある。
本城は裾野市千福と御宿に挟まれた標高200mの独立した丘陵の南半分、俗称城山に位置し、大きく東は黄瀬川西はその支流佐野川の間に在り、北駿と南駿を結ぶ交通路を扼す。城域は城山(小字名平山)全体を占め、長さ450m、幅270mあり、裾部からの比高は約30mほどある。主郭Ⅰノ曲輪は城山中央部にあり、方30×60mで東に一段下った平場をもつ。それより東及南へⅡ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴノ曲輪が連続し、Ⅱノ曲輪はⅢノ曲輪を抱え込む形となっている。Ⅲノ曲輪には居館があったといい、方50mある。Ⅴノ曲輪の南側は久保川の渓流となっている。これらの曲輪の東側には三段の帯状の平場と空堀があり、最下段は方50×100mあって馬場の形をなし久保川に面している。上段の平場は北に迂回して、主郭北側直下まで続き、その間に二つの竪空堀と外縁に堀残し状の土塁が断続する。本平場の先端は主郭と北東の出郭を大きく仕切る空堀に連続し、ここから深い空堀となって本郭の西側直下をめぐって裾部へ落ち込む。本郭の南側は垂直が崖下に四段の平場が下方へ連続し、Ⅰ~Ⅴ曲輪とは空堀と堀残し状の土塁とで区切られている。ここの空堀は下段平場をめぐって普明寺門前へ連なるようだが、途中で消滅している。本郭北西には長さ130m、幅25mの狭長な三つの平場をもつ出郭がある。この郭を東から北に取りまいて深い空堀があり、その先端は東名高速道路の切通しで断ちきられる。この西北端外側には、さらに一つの空堀があって二重の空堀をなし、その北側に見張台状の平場がある。
普明寺は本郭南側直下にあり、本城の居館であったという。また本城は葛山城と縄張の点で一段と進んでいるので、葛山氏が駿東を支配し始めた時点で、その據点として築かれたものであろうという。保存状態はよく市史跡指定されている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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