韮山城

にらやまじょう
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北条早雲終世の居城

  • 名称にらやまじょう
  • 所在地伊豆の国市韮山
  • 様式山城
  • 遺構曲輪、土塁、堀、井戸跡、園池遺構、屋敷跡
  • 築城年明応9年(1500)頃
  • 城主・城将北条早雲(伊勢新九郎盛時) 北条氏規 内藤信成
  • 関連武将武田信玄 清水康英 徳川家康
行きやすさ 行きやすさ アクセス詳細

後北条氏の始まりと終わりの城

後北条氏の初代・伊勢宗瑞(盛時、通称・北条早雲)によって築かれた韮山城。伊豆半島の田方平野の東にある天ヶ岳とそれに続く尾根上に築かれ、現在は、城池公園から堀切道を登って、「権現曲輪」から「塩蔵址」まで、散策路が整備されています。

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明応2年(1493)、今川氏の客将だった伊勢新九郎盛時は、伊豆韮山の堀越公方家の御所を滅ぼし、伊豆へと進出。ほどなく伊豆一国を平定すると、堀越御所の東の天ヶ岳から派生する龍城山と呼ばれる尾根上に韮山城を築きました。築城の正確な年代は分かっていませんが、城内に熊野神社を勧請した明応9年(1500)「熊野三所権現棟札」から、この頃までに築城されたものと考えられています。 その後、北条に改姓した二代・氏綱は、相模国小田原を本拠としましたが、韮山城は伊豆支配の拠点として、また今川氏・武田氏などに対する西方の守りの要として、重要な役割を担っていました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際は、4万4千人の大軍勢に囲まれましたが、最期まで落城することなく耐え、小田原城とともに開城しました。その後、徳川家康の家臣・内藤信成が城主として入りましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、廃城となりました。

成り立ち

韮山城は、後北条氏の消長と深い関係を持ち、その初期と終焉には重要な役目を果しています。北条早雲は、伊豆平定後も同城を居城とし、終世をおくりました。また、小田原合戦の時には、北条氏規が守備し、関東の諸城がことごとく落城するまで開城降服をしていません。開城後、内藤信成が入城しましたが、関ケ原の戦い後廃城となりました。
出典:「静岡県の中世城館跡」

歴代城主

伊勢宗瑞(盛時、北条早雲)
後北条氏(北条氏規)
内藤信成

現在

韮山城は、田方平野の東南、標高128m程の独立丘の各所に城砦を築いた、難攻不落の大城砦群です。この山頂(標高128m)に天ヶ岳(天狗岳)砦、西北に主城、城池を挟んで、東に江川砦、主城の南に土手和田砦、さらにその東南に和田島砦があり、それらの城砦は尾根を通じて連絡しています。
主城はほぼ南北に延びる直線連郭階梯式の構造をもち、中央に本丸、北に権現曲輪、二ノ丸と続いています。本丸の南には、塩倉と火薬庫が続いています。御座敷と呼ばれる城主の館は、現韮山高校の校地となっており、主城との間の水濠は埋めたてられています。この水濠は、主城の西から北を廻り、城池までほぼ半周しており、城池も堀の機能を持っていたと思われます。東側の水濠は現存しています。
御座敷の西方には、大手から土手和田に通ずる土手と、松並と呼ばれる一段高い地があり、西方からの攻撃に対する防禦の曲輪となっていたと考えられています。
主城の南方、広い沼沢地を挟んで対置する土手和田砦は、南北に長い直線連郭階梯式の出城で、ほぼ中央に主郭を持っています。東方の丘陵とは、堀代用の要害で区切られています。主郭の東と南にはカギの手に空堀が廻り、東には土塁状の腰曲輪が存在しています。また丘陵の南端から北端まで、大小多数の曲輪があります。
江川砦は、重要文化財の江川邸の裏山にあり、背後の丘陵とは、幅10m程の空堀で区切られています。曲輪は、北から南に階梯式に高く、南端に本郭と思われる曲輪が設けられており、周囲に土塁が存在しています。東側の低地は、かつて水濠であったと推定され、現在は池としてその痕跡を残しています。
土手和田砦の南方には、半島状に大きく南に突出した和田島砦があります。中央に土塁が周る本郭があり、それから東北に曲輪が低続し、東端の急崖で区切られています。南方には、細長い曲輪が低続し、先端に腰曲輪が周る出曲輪が設けられています。
天狗岳砦は、韮山城の城砦群のうちで、最高峰に築かれた、物見砦であったと思われます。周囲の低地との比高は100mを越し、遠く三島方面はおろか、田方平野の大部分を眺望することができます。
頂上の中央に土塁を有する本郭がありますが、規模は小さいものです。本郭から尾根に沿って西に下ると出丸に出ます。やや湾曲した土塁を持ち、ここから西に進むと土手和田砦に、南に進むと和田島砦に出ることができます。
出典:「静岡県の中世城館跡」

縄張図

縄張図

韮山城跡主郭と周辺の堀(1/5,000)
(「韮山城跡外池第1地点発掘調査報告書」2006伊豆の国市教育委員会より一部改変して掲載)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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