富永氏館

とみながしやかた
  • 名称とみながしやかた
  • 所在地伊豆市土肥
  • 様式その他
  • 関連武将富永政辰 富永政家

港に接し、北条水軍の一翼を担っていた富永氏の館

土肥、富永氏は、一説には、建久3年(1192)すでにこの地に在住していたとされるが、近年、室町時代応仁の乱前後、三河より移住したものであるとされる(永岡「伊豆土肥史考」)。北条氏に臣従し、政辰、政家父子の時には、北条氏五大老の一人となり、江戸城を預っていたという。
館跡は、光源寺から南側一帯の地域とされるが、伝承地名である御殿、馬出、小門、堀小路等があるのみで、遺構は確認できない。
館は、港に接し、北条水軍の一翼をになっていた。また、駿河湾の海上権も掌掘していたともみられる。また、土肥金山が最初に開発されたのは、天正5年といわれているのでこれに伴う手工芸、鉱山業の展開もみられた。
裏山には、詰の城として「高谷城」が存在し、「屋形」「屋敷の段」の宇名等により、その館が数ケ所存在したとも考えられる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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