高谷城

たかやじょう
  • 名称たかやじょう
  • 俗称・別名高嶺城
  • 所在地伊豆市土肥、小土肥
  • 様式山城
  • 関連武将富永政辰 富永政家

応仁の乱前後、三河から移住したといわれる富永氏の城

土肥神社所蔵文書『源基氏伝帖』に「土肥高谷城主、富永備前守」とある。この文書は後世の作であるが、ある時代の西伊豆の様相を示してはいると思われる。
富永氏は、三河の出身で、室町時代、応仁の乱前後、西伊豆土肥に移住したといわれる。
延徳3年(1491)、伊勢新九郎が堀越の足利茶々丸を攻めて自殺させ、伊豆を攻略した時、これに臣従していた。北条氏綱、氏康時代には、関東各地に転戦し、『北条五代記』『関東州古戦録』『関東兵乱記』等に、その活躍ぶりは詳しく出ており、北条家五大老の地位にあった。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻撃に際しては、これと戦ったものと思われるが、その経過等については不明である。当主の富永政家は、慶長12年(1607)死亡。その子は、徳川氏に従ったという。
城跡は、現土肥小学校裏山附近といわれているが、明確ではない。いずれにしても、城下には、居館があり、水軍の船溜りが附設されていたものと思われる。
なお、小学校の東隣りに、政家が創建したという富永氏の菩提寺、日蓮宗の清雲寺がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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