狩野城

かのじょう
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下田街道を見下ろす山城

  • 名称かのじょう
  • 俗称・別名柿木ノ城
  • 所在地伊豆市青羽根、本柿木
  • 様式山城
  • 遺構曲輪、土塁、堀切
  • 築城年15世紀後半
  • 城主・城将狩野氏
  • 関連武将北条早雲 狩野為茂 狩野介道一
  • 文化財指定伊豆市指定史跡
行きやすさ 行きやすさ アクセス詳細

平安時代から続いた狩野氏の本拠

修善寺から天城湯ヶ島に至る狩野川流域を本拠としていた狩野氏が築いた狩野城。現在、城域は、遊歩道の整備が行われ、立ち木もほどよく伐採されているため、遺構の観察もしやすくなっています。城の遺構は伊豆市の指定史跡となって保護されています。

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伊豆国を本拠とした狩野氏は、藤原南家の流れをくむ工藤氏が、平安時代後半に伊豆国押領使となって土着したことに始まると伝えられています。なお、狩野氏は多くの傍系を輩出し、その一族は伊豆国のみならず駿河国や遠江国にまで移住し、各地に影響を及ぼしています。
狩野城は、狩野荘のほぼ中央の下田街道を見下ろす丘陵上にあります。築城の年代は判っていませんが、15世紀後半と推測されています。
戦国時代になると、伊豆国の狩野氏は伊勢新九郎盛時(北条早雲)の侵攻に激しく抵抗していましたが、明応7年(1498)に狩野道一が降った以降は北条家臣団の中核を担うようになりました。永禄2年(1559)の「北条氏所領役帳」には、狩野大膳亮、狩野介、狩野藤八、狩野左近など狩野一族の名が見えます。これによると狩野介の知行が771貫558文と最も多く、当該地域に強い影響力を持っていたことが伺えます。
天正18年(1590)の小田原城開城により、狩野城は存在意義を失い、放棄されたと見られています。

成り立ち

狩野氏は平安時代末期から、近世初めまでの長い間、伊豆中央部一帯に強大勢力を持っていました。一族は藤原維景を始祖とすると言われ、後に分れた伊東、宇佐美、曽我、河津、工藤氏なども同族です。後に代々狩野(工藤)介と呼ばれています。茂光の頃には一族の加藤氏をはじめとした伊豆国の武士を従えて、大島の源為朝を打ったことが『保元物語』に見ることができます。おそらくこの頃は伊豆国府の在庁官人を務めていたのではと思われます。以後、一族は狩野谷を中心とする狩野庄を支配したと見られています。
出典:「静岡県の中世城館跡」

現在

天城湯ケ島町(現伊豆市)本柿木と青羽根(あおばね)の境界に位置し、柿木川と狩野川に挟まれた、標高180m、比高80m程の城山の山頂が城跡です。尾根は西南から東北に延び、それを山田川と北沢川が切り、独立丘状を呈しています。遺構は西南部に集中し、空堀及び土塁で郭を構築しています。特に二重の空堀は注目されます。主郭と考えられる部分には堂が建ち、南に向って大きく張り出しています。東北部は階段状に平坦部が連続しています。
北西の山裾の平坦部は本城、城ノ内と呼ばれ、館跡の所在地である可能性が強いと思われます。またこの西方に柿城、松城、木戸、狩野城、古屋敷等の地名があり、ここにも城館跡があったと推定されます。
出典:「静岡県の中世城館跡」

縄張図

縄張図

狩野城跡遺構概念図(作図:河合 修)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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