当目砦

とうめとりで
  • 名称とうめとりで
  • 所在地焼津市浜当目字殿山
  • 様式その他

武田方が花沢城を攻め落とした後に築いたとされる砦

当目砦については武田方が花沢城を攻め落した後、築いた砦と言われている。『駿河記』には「里民鹿五郎屋敷山を殿山と称す。傳云武田の将八代越中守正國砦と云。又縄無理之介か家長梅本新右衛門と云者居たりと云。」とあり、又『武徳編年集成』には、「朝比奈駿河守が家臣奥原日向、数百人を率し当目峠に戦ふ。徳川君の諸将奥原を破り首八十余級を得る。」とある古戦場や、赤池御陣場が付近にある。
殿山は東西方向に延びる丘陵の西端である。
海抜51~56m程の稜線上は人工的に地形が大きく変えられており、二段程の平坦面がみられる。外枠の規模はおよそ幅15~25m、長さ70m程である。現状では堀、土塁等は明確でないが、この平坦面の西端(丘陵先端部側)は方形に削り出した地形をなしている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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