波津陣屋

はづじんや
  • 名称はづじんや
  • 俗称・別名相良陣屋、御用所
  • 所在地牧之原市波津字一丁田
  • 様式その他
  • 関連武将川田平兵衛真皆

御用所の地名が残る一橋領の役所

田沼意次の失脚後、幕府の直支配地となった相良藩領は、寛政6年(1794)紀州、一橋治済(遠江にて3万石)の所領となり、代官所を波津に置いた。ここは相良町と地続きで、相良陣屋ともいわれたが、文政6年(1823)田沼意正が旧領相良に移り、旧城内に田沼領の役所ができたので、その混同をさけるため、とくに波津陣屋と称した『相良町始之事』によると、一橋の役所が出来たのは寛政9年で、以後30年間に代官が7人も変ったという難治の領内で、文化2年(1805)には、ついに百姓一揆が起り、文政6年(1823)小島蕉園を登用、その善政によって人心安定し、平常に復した。
陣屋の位置は横町西側で、現在、上波津に役所の建物の一部(取調部屋、座敷牢)が移築されて残っている。
御用所という地名はこの陣屋に由来するものである。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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