相良御殿

さがらごてん
  • 名称さがらごてん
  • 俗称・別名御鷹場御殿
  • 所在地牧之原市相良字元本丸跡 他
  • 様式その他
  • 関連武将徳川家康

相良古城を手入れし、鷹狩の根拠地とした家康の御殿

遠州のすべてが徳川の領国となった後、天正12年(1584)家康は相良古城を手入れして、相良御殿と称した。同14年には家康自ら相良に来て、御殿を建直し、以後ここを田猟(鷹狩り)の根拠地とした。くだって慶長7年(1602)天野、寺田両奉行によって、再び御殿造営のことあり。家康の相良来遊は前後数回に及んでいる。慶長20年、さらに「御鷹場御殿」を相良の徳村に新造した。御殿地は、元和以降荒廃に帰し、寛永4年(1627)には畑地となった。
現在、その遺構は全く見られないが、芝原の御殿跡地から、かって御障子骨という本朱塗の木切れが出土して、その遺材という(植田本高天神軍記)。近くは昭和24年、元本丸跡地内の中学校建設工事中、基礎の遺杭等が発見された。
ここは東遠の要津、相良湊に臨み、家康の別荘地としての機能を果したことは、後年、相良藩設置への素因ともなった。
なお別に、浜山地内に字「御天所」という地名がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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