相良古城

さがらこじょう
  • 名称さがらこじょう
  • 俗称・別名武田氏の相良城
  • 所在地牧之原市大江字山ヶ月堀
  • 様式平城
  • 関連武将武田勝頼 徳川家康

高天神城へ兵糧を入れるために築かれた武田氏の城

『今川諸家分限記』に高1万3千石遠州相良城主、富永伯耆守氏繁の名が見えるが、当時の相良城の位置は定かでない。
天正4年(1576)3月、武田勝頼が兵糧を高天神城へ入れるため、帰途、高坂弾正に命じ相良城を築いた(徳川実紀他)のがそのはじまりで、また、同年武田勢と徳川勢が相良沖海戦のことあり、この城が武田水軍の根拠地でもあったことがわかる。
その位置は『高天神記』に「湊の脇に城取有」と述べているように、相良川下流(中世の相良湊)の右岸にあった。遺構の敷地は今、相良中学校用地となっており、近年まで三日月堀の遺跡が残っていた。
天正9年(1581)3月、高天神城落城。相良も徳川の有に帰し、7月には家康が松平家忠をして相良の塞を修築させているが、翌10年、小山・滝堺落城とともに廃城となり、その一部は家康の相良御殿として襲用された。『相良町始記』

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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