田中城

たなかじょう
  • 田中城
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家康や将軍が逗留した御殿

  • 名称たなかじょう
  • 俗称・別名亀甲城、亀城
  • 所在地藤枝市田中
  • 様式平城
  • 遺構御亭(本丸櫓)、曲輪、三日月堀、二ノ堀、三ノ堀、土塁、礎石
  • 築城年元亀元年、田中城の命名は1570年
  • 城主・城将今川氏 一色氏 武田氏 本多氏
  • 関連武将武田信玄 武田勝頼 徳川家康 酒井忠利
  • 文化財指定藤枝市指定史跡
行きやすさ 行きやすさ アクセス詳細

特徴的な円郭式縄張りの城

家康が鷹狩のために度々訪れ、死因とされる鯛の天ぷらを食した場所とされている田中城。現在、中心部が校地となり、周囲は宅地化が進み堀や土塁の一部が点在。下屋敷跡に整備された史跡田中城下屋敷には、本丸にあった御亭(おちん)と呼ばれる建物や仲間部屋などの建物が移築保存されています。

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城の起源は明らかではありませんが、永禄11年(1568)12月の武田信玄による駿河侵攻の際に、今川家の家臣・長谷川能長(よしなが)・正長らが籠城した「徳一色城」が前身となっています。 元亀元年(1570)正月、花沢城が落とされて孤立したため開城しましたが、このとき信玄は、この城が「堅固の地なりとて馬場美濃守に被仰付、馬だしをとらせ、田中城と名付」と述べていることから、信玄による改修が行われ、三の曲輪まで有する同心円状の縄張になったと思われます。 武田氏の城となってからは「田中城」と改称し、天正3年(1575)の長篠・設楽原合戦以降、遠江・駿河の防衛拠点となりました。このころ武田勝頼の命によって丸馬出を設けるなどの改修が行われたと見られています。徳川家康による度重なる包囲・攻撃を受けながらもよく耐えたものの、同10年2月、江尻城の穴山信君が徳川方に内通したことにより、城将の依田信蕃(よだ・のぶしげ)は城を開けました。 家康が駿府に拠点を移すと、田中城は家康の鷹狩や西上する際の宿舎として利用されるようになりましたが、同18年8月、家康の関東移封により豊臣秀吉の家臣・中村一氏が駿府城に入ると、家老の横田村詮(むらあきら)が8千石で入城しました。 関ヶ原の戦いの翌慶長6年(1601)、酒井忠利が1万石で入城すると、円形の外曲輪を設け、城の面積は三倍に広がりました。 同12年に家康が駿府に隠居すると、間もなく駿河・遠江は家康の十男徳川頼宣領となり、田中城は家康や将軍のための宿泊施設「田中御殿」として整備されました。駿府隠居後の家康は、田中での鷹狩を頻繁に行うようになりますが、元和2年(1616)正月の鷹狩の際、ここで鯛の天ぷらを食べて腹痛を起したという話は有名です。 その後、駿府藩領や幕領となりましたが、寛永10年(1633)に松平忠重が2万5千石で入城すると、以後、5万石までの譜代大名9氏12代の城主が入れ替わり、享保15年(1730)の本多正矩(まさのり)の入城以後は、本多氏7代4万石の城として続きました。

成り立ち

十六世紀に今川氏の命により一色信茂が築いたという徳一色城が、元亀元年(1570)2月に武田信玄の手に落ちた後、信玄の命により馬場美濃守信房によって改修がほどこされ、田中城と改められました。

現在

田中城は湿地帯の中にある微高地の最高所(標高15m)に方形の本丸を中心にして二の丸、三の丸がその周囲を巡る同心円形式の構造で、亀甲城・亀城の別名がありますが、これは、三の丸の形状が亀の甲状に似ていることによって付けられた名です。この形式は輪郭式(りんかくしき)とも言われます。 馬場信房により二の丸・三の丸の虎口の外に、武田氏の特色である馬出曲輪が6ケ所に設けられました。一番外側の外曲輪は慶長6年(1601)に領主となった酒井忠利の在城時代に増築された遺構で、この時に大手口を正門としたと伝えられています。また、寛永年間に領主であった水野忠善は土塁を高くしています。規模は東西約1,420m、南北約1,500mで現在は二の丸の堀の一部、三の丸の堀と土塁の一部、三日月堀の半分が残っている以外は地割で円形がわかる程度です。 昭和54年(1979)、二の丸の土塁の調査が行なわれ、その結果、4回にわたる増築が確認されました。現在中学校の建っている場所にあった清水御殿は、郡立農学校(現在の藤枝北高等学校)の校舎として使われましたが農学校の移転に伴って移築され、それもその後、解体されて残っていません。城の北西約200mの所に清水の湧き出る姥ケ池があり、水源地として利用され、ここから水を引くために埋設された樋(木管)が発見されています。 当城は全国的に見ても珍しい円形の縄張りですが、学校の増改築及び周辺の宅地化により、遺構も日を追って失われつつあります。市指定史跡。
出典:「静岡県の中世城館跡」

縄張図

縄張図

田中城内配置図(幕末)(作図:前田利久)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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