朝日山城

あさひやまじょう
  • 名称あさひやまじょう
  • 俗称・別名岡部城
  • 所在地-
  • 様式山城

室町時代初期、岡部郷を見下ろす場所に築かれた城跡

岡部氏の所領である岡部郷を見下ろす場所に築かれた城で、残っている遺構から室町時代初期に築かれ、それ以後は必要に応じて城域を拡張された城跡である。『藩幹譜』には
「…天正16年4月、従五位下に叙し、内膳正に任ず。関東に移らせ玉ひし時、上総・下総等の国にて所領の地を賜ふ…」とあり、この時に廃城となったのである。
藤枝市北郊の独立丘陵である潮山(標高201.8m)の支峰で標高112.1mの朝日山(牛伏山)の頂部に存在し、比高約90mで北側山裾を朝比奈川が流れている。山頂を本城とし、上下二段の曲輪が存在している。上段が一の曲輪で、西向きの舟形状曲輪で東西52.2m、南北18~20m、ほぼ三面に低い土塁を巡らし、特に北側東寄りに幅7~10m、長さ33mの細長い土段が設けられている。稲荷神社拝殿がある下段部分が二の曲輪で東西20~37m、南北24mであるが神社の建設により破壊されている。大手から本城への登り道の東側にたて堀があり、本城から潮山へ続く峰の部分に「堤平」と呼ばれている南曲輪があり、潮山との間には幅15mの空堀で分断されている。本城の背後にあたる東側で本城より約30m低い所に平坦部がありこれが西曲輪である。
朝日山の山頂に本城を置き、その東方山麓に居館を持つという室町時代初期の根古屋式の山城である。当時は、北に朝比奈川、南に潮山を控えた要害の地を占めているが、特に南方の潮山が高地であるために、南西方面の展望がきかない不利がある。通例は四方が見渡される地を選ぶのであるが、岡部氏の場合は自領地支配が目的であるために此地を選んだものと考えられる。岡部氏の本領地は、潮山の北から東の一帯を室町時代初期ころに支配したと考えれば城の位置は必ずしも不利ではなかったはずである。本城より東へ走る低丘陵沿いにあった万福寺(廃寺)の墓地に岡部氏一族の五輪塔がある。又、岡部氏居館地が山麓沿いの水田地帯にあり、登り口の両側には山下曲輪がある。市指定史跡である。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメントする

このお城を共有・登録する