朝比奈城

あさひなじょう
  • 名称あさひなじょう
  • 所在地-
  • 様式山城
  • 関連武将武田信玄

今川氏歴代の重臣・朝比奈氏の城郭

岡部町殿の権現山に存在する城跡は、室町時代初期に見られる土豪的な城郭である。朝比奈氏は藤枝氏の末葉で、平安末期国俊が朝比奈郷に住み、姓も朝比奈と改めて、以後鎌倉幕府の御家人となり、弘安7年(1284)7月朝比奈郷の地頭職に任ぜられ、代々朝比奈郷を領有するに至った。戦国時代は、今川氏歴代の重臣であり、今川氏滅亡後は武田信玄に従って、用宗城を与えられ駿河経営の先陣を承っていた。
天正10年(1582)武田氏が滅亡したが、この頃朝比奈城も廃城になったと思われる。
東西の両尾根上に城郭遺構を残し、とくに西側の尾根(字松山)上にある城跡が古い。海抜170mの山頂を軸として、南東方向へ走る主尾根の先端部に所在する。曲輪の広さは、長さ80m、幅は北より25m~55mと広さを増している。北端に1mの土盛と幅3mの堀切りを施す単郭で、この空堀より北は山頂まで人手を加えた跡がない。
東峰は西峰よりやや低く、海抜170mの山頂下段より、東南方向に張り出す尾根上にある。規模は狭小で八段の小曲輪を階段状に設け、その中央に幅2mの堀切り状のものを施している。北方は尾根上に2カ所堀切を設け、主要部背後にも堀切を施している。
当城は、西と北を朝比奈川に、南を野田沢川に囲まれ、突出した山上に設けられた城で、ここから朝比奈川下流の平坦部の多い地域を見渡すことができる。朝比奈郷は、周囲を高い山々に囲まれた山間地であるが、当城のある殿は、藤枝市上大沢から300mの峠を越え新舟に出て殿・野田沢から250mの峠を経て静岡に出る間道、岡部町村良から桂島谷川を経て290mの勝負平を越え、静岡へ抜ける間道の中間に位置を占め、また西は今川直轄領葉梨庄に接し、南は岡部郷を支配する岡部氏、東は今川家の本拠の駿府に接している。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメントする

このお城を共有・登録する