湯日城

ゆいじょう
  • 名称ゆいじょう
  • 俗称・別名養勝寺城
  • 所在地島田市上湯日
  • 様式山城

初倉荘における勝間田氏の枝城

湯日養勝寺の裏山にあり城山と小地名が残る。『榛原郡誌』によれば初倉荘における勝間田氏の枝城と記されているが確証はない。鎌倉街道が湯日城の山裾を通過しており交通の要路にあるところからこの付近を支配していた土豪の居城と推定する意見もある。後述のごとく三日月堀をもつ武田氏特有の馬出し曲輪があるところから諏訪原城と同様に武田氏によって利用されたものの一つと思われる。
現状ではみかん園の造成により遺構は明瞭でない。造成前の遺構は大きく三つの曲輪からなり、各々空堀を挟んで土橋によって連結していた。さらに中央の曲輪の南面下には帯状の曲輪が東へ向って延びて、各々南側の縁に土塁があった。特に西端の曲輪には三日月堀をもつ馬出し曲輪があったといわれる。
湯日城は牧ノ原台地の東側縁端部で谷が複雑に入り込んだ結果生じた東西方向に延びる支丘陵先端部に占地しており、海抜約130mを最高所として、海抜100m付近の等高線によって台地から独立した自然地形となっている。水田との比高差は約70mを測る。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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