諏訪原城

すわはらじょう
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丸馬出を持つ戦国の山城

  • 名称すわはらじょう
  • 俗称・別名牧野(原)城、扇城、金谷城
  • 所在地島田市菊川
  • 様式平山城
  • 遺構曲輪、丸馬出、空堀、井戸跡
  • 築城年天正元年(1573)
  • 城主・城将武田氏 徳川氏
  • 関連武将武田勝頼 徳川家康 馬場信房 松平康親
  • 文化財指定国指定史跡
行きやすさ 行きやすさ アクセス詳細

武田氏が築城した遠江攻略の出城

牧之原台地の北東に築城された諏訪原城。城跡は国指定の史跡となっており、隣接地には駐車場が完備されています。堀内の樹木も間伐されているため、スケールの大きな空掘もよく見ることができます。

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諏訪原城は、天正元年(1573)、久野・掛川の両城を牽制するため、武田勝頼によって築かれたと見られています。さらに高天神城攻略のための陣城として、攻略後の兵站(へいたん)基地として重視されていました。しかし勝頼が天正3年(1575)の長篠・設楽原合戦に敗れると徳川家康は遠江東部を制圧し、諏訪原城も同年6月から8月にかけて家康の猛攻を受け開城しました。
諏訪原城を特徴づけている丸馬出を持つ縄張は、武田信玄の重臣で築城の名手といわれている馬場美濃守信房(信春)がおこなったと伝えられ、より武田色の濃い城として知られています。
しかしながら現存する諏訪原城の遺構、なかでも丸馬出は武田勝頼によって築かれたものであるかについては、注意が必要です。諏訪原城開城後、勝頼軍は高天神城を死守しようとしたため、家康は諏訪原城を陣城とし、これ以降、諏訪原城は牧野城と呼ばれるようになりました。家康は駿遠国境地帯を制圧するため、牧野城に西郷孫九郎家員や松平家忠、戸田新六郎(松平康長)らを城番として入れ置きました。また、天正4年(1576)には流浪中だった今川氏真を牧野城へ保護するよう家忠に命じています。このように家康段階のものとなった諏訪原城(牧野城)が、武田氏段階のものをそのまま利用していたとは考えにくく、むしろ家康段階に改修されたものが現状の諏訪原城の遺構と考えた方が合理的かもしれません。「家忠日記」には、徳川時代を通じて盛んに普請が行われていたことが記されています。天正6年から9年(1578~1581)の間、毎年、堀普請や市場普請などが行われていて、これらの普請の大半に家忠は関わっていました。さらに、武田式築城の特徴となっている丸馬出については、諏訪原城のような巨大な丸馬出は、確実な武田氏城郭では認められていません。むしろ小型のものがほぼ全てであり、規模の大きさからも異質と指摘することができます。
天正10年(1582)3月、武田氏が滅亡すると牧野城の存在意義も薄れ、天正18年(1590)に廃城となりました。

成り立ち

本城の名称には金谷城(かなや)、諏訪原城、牧野(原)城と史料上に3種類がみられます。『甲陽軍鑑』及び『武徳編年集成』によれば永禄12年(1569)、武田信玄が金谷の台地に城を築いたとあるのが金谷城で、これが諏訪原城の前身と考えられていましたが、はっきりとした確証はありません。
現状の諏訪原城は、天正元年(1573)9月に武田勝頼が、遠江の見付まで攻め込み、その帰りに、武田信豊・馬場美濃守信房に命じて築城させたときのものです。城内に諏訪大社を祭ったので、そのあたりを「すわの原」と呼び、城の名前も諏訪原城になったと考えられています。天正3年8月に落城すると、徳川家康によって牧野城と改名されました。

現在

遺構は本曲輪・二の曲輪・大手曲輪・惣曲輪・出曲輪などからなります。本曲輪を中心に二の曲輪、惣曲輪などの配置が、扇を開いた形に似ていることから別名「扇城」とも呼ばれます。本曲輪部分は東西約137m、南北約88mで、周囲は幅約10m程の土塁に囲まれ、二の曲輪部分との間は上幅約1.5mの土橋によって連結しています。二の曲輪は西側の堀をへだてて三日月堀とセットになった丸馬出などを配しています。また、大小様々な堀が20本以上あり、急斜面な堀になっています。 海抜210mから220m程の牧ノ原台地の東側縁部に城は占地していて、本曲輪の東側からは、大井川をはさんで志太平野を一望のもとに見渡すことができます。金谷駅との比高差は約110mとなっています。諏訪原城の大手(表口)側は平坦になっていますが、搦手(裏口)側は断崖絶壁になっていることから『後ろ堅固の城』となっています。

縄張図

縄張図

諏訪原城跡概要図(作図:中井 均)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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