岸城

きしじょう
  • 名称きしじょう
  • 所在地島田市阿知ヶ谷・岸
  • 様式山城

今川範国の駿河へ入った最初の拠点とされる城

文献史料が皆無であるため城史については明確でなく、長倉智恵雄氏によれば今川範国が、その子範氏を伴って駿河国へ入った最初の拠点だったという。遠江国守護今川範国は暦応元年(1338)、駿河国守護に任ぜられたが狩野氏、土岐氏など駿河の土豪たちの抵抗を受けて駿河に入ることができなかったのである。その後暦応3年(1340)遠江南党の諸城攻略によって範国の駿河攻略体制が整ったようである。そして駿河の本拠として築城した大津城は観応3年(1352)である。従って今川範国の岸城は暦応元年から観応3年の間に存続したものと想定される。岸城については郷土史家の紅林時次郎が『島田大津大長六合四カ村郷土史資料』で、「総門の西上山(現在の阿知ケ谷東山の裏山)に当たって城砦があった。この城砦を岸の城という」と述べたのが最初といわれている。
現状は茶畑で遺構は、地表上の観察からは明確さを欠いている。長倉智恵雄氏によれば尾根上に塁段をもつ曲輪と、北へ傾斜する幅8m位の空堀がみられたという。本丸は東西10m、南北30mで南端に高さ3.5m、広さは10m四方の物見台らしき突起が付属している。その西側はぐっと低く腰曲輪と袖曲輪が付属する。二の曲輪はややいびつな三角形で、東西30m、南北20m程で西側に帯曲輪を設け、その先に大きな空堀があると記されている。(『ふるさと百話』12)
この岸城をのせる東山(天神山)は海抜約140mで山裾を東光寺谷川がめぐって流れており、水田地との比高差は約100mを測る。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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