石上城

いしがみじょう
  • 名称いしがみじょう
  • 俗称・別名城山、笹間城
  • 所在地島田市川根町笹間上
  • 様式山城
  • 関連武将石上菟角之助貞壽
  • 文化財指定市指定史跡

南北朝時代に築かれた南朝派・徳山城の支城

南北朝時代南朝派で徳山城の支城であったというが、正平8年・文和2年(1353)今川範氏によって落城。今川の支配下となる。その後武田氏の支配下にはいったが、城主石上菟角之助貞壽が遠江二俣城の守衛として赴いた時、その地で戦死したと伝えられている。
笹間川のほぼ中間点にあたる石上部落の裏山から伸びる小さな尾根上に位置する。標高340m。東・西・南の三方は沢によって浸食され断崖となっている。平坦地が3カ所ある。本丸跡と思われる最上段(約180㎡)と、それに続く南側の平坦地(最上段より約2.5m低い、約100㎡)。この2つの平坦地に沿って最上段より5mほど下がった所にある幅3m~5mの帯状の平坦地。堀は北・西・南に1本ずつある。
城のある尾根の先端部に平坦地があり、石上館跡といわれている。近くに菟角之助の菩提を弔う登福寺があり、その境内に付近にあったという五輪塔が祀ってある。関係地名としては、三園、遠見場、近見場、シンゲン沢などがある。石上部落には「オオエ」の屋号を持つ家がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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