横山城

よこやまじょう
  • 名称よこやまじょう
  • 俗称・別名興津城、興津横山の城
  • 所在地-
  • 様式山城

戦国期、今川氏の国人であり重臣であって興津氏代々の居城

横山城は、戦国期今川氏の国人として重臣でもあった興津氏代々の居城である。室町・戦国期に至り興津美作守、興津藤兵衛尉、興津彦九郎宗鉄、興津三郎左衛門らの名を文書や史書に見い出すことができる。
城跡は、興津川に突出した山(標高約100m)の山頂を削平して曲輪を階段式に設けたもので現在土塁や堀切りを明瞭に残すが密柑畑となっているため、後世の開墾地との区分が必要である。山麓の平地は、今もなお弧状を描く土塁によってほぼ囲まれており、内屋敷の地名があり、城の存立期には、城番や家臣の居屋敷があったと推測される。
横山城は、興津氏の撤退後、武田氏の番城となり、支城の1つとして重要視された。特に薩堹山砦と対峙し、甲州への街道筋を押えるためにも武田氏は一族を城番として配置したという。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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