湯島城

ゆしまじょう
  • 名称ゆしまじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地-
  • 様式山城
  • 関連武将今川貞秋 狩野宮内少輔

南北朝安倍城の支城として北方の押さえに築かれた城

当城は初め、南北朝安倍城の支城として、北方の押えに築かれたといわれ、その後今川氏に服した狩野氏の後裔が湯島城に居を構えたと伝えられる(『静岡県郷土研究第2輯』)
永享5年(1433)5月、今川範政没後の嗣子範忠の相続をめぐる内紛から足利持氏の支持する千代秋丸派に狩野氏は加担して今川氏に謀反したが、9月3日遠江・駿河の兵を率いる今川貞秋、狩野宮内少輔らによって攻められ落城している。(『満済准后日記』、『宗長手記』)
湯島城は安倍川中流域、中河内川が安倍川に合流する東岸の山上標高303mにあって、井川道、安倍道、俵峰興津川間三道分岐する交通要衝地にあって、極めて急峻な地形によって囲まれる天然の要害上に立地している。
曲輪は高山の西支尾根が安倍川に突き出る末端上にあって、東西260m、南北広いところで50mの規模をもち、東西二つの曲輪から成り、尾根続きの東曲輪の方が低くなっている。茶畑造成によるものか崩されており、特別な遺構は認められない。高山ヘ続く尾根上に尾根遮断の1条の堀切があり、西曲輪直下、西麓菜流寺に降る部分に1条の空堀があって中央部に土橋が認められる。
西麓湯島集落は海岸段丘上にあって、地名が残らないが、居館跡とも考えられる。また当城はその地理的条件の上で好適地に位置し拠点もしくは本城てき性格を有する城といえる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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