八幡山城

やはたやまじょう
  • 名称やはたやまじょう
  • 所在地-
  • 様式山城
  • 関連武将北条早雲 今川氏親

今川竜王丸と小鹿範満との家督相続争いの際、竜王丸派の伊勢盛時が築いたといわれる城

文明8年(1476)伊勢新九郎長氏が今川竜王丸(後の氏親)と小鹿範満の家督争いに竜王丸派として範満に対する為に築いたといわれる。(『静岡県安倍郡誌』、『静岡市史第一巻』)。その後、永禄11年(1568)武田信玄が駿河侵入の際、当城に陣場をおいたことが『甲陽軍鑑』に見えている。
八幡山城は静岡平野南部の独立した標高63.7m上にあって、谷津山、有東山に相対し、南麓久能街道の押えとして重要であり、恐らく、今川駿府館の支城砦の1つとしての役割を有し、海岸方面の物見的性格を有する城と考えられる。
曲輪は東西の主尾根上築かれていたと考えられ、東西約250m、南北40m~70mの規模を持ち、主として最高所の東曲輪と標高62mの西曲輪の2曲輪からなり、この間に堀切があったと想像される。主郭は東曲輪と考えられ、西曲輪稜線上に数段の曲輪が配されていたと考えられるが、公園整備が進んで遺構は崩され確認は難しい。
南麓に神護景雲3年創建と伝えられる古社八幡神社があり、また今川了俊開基と伝えられる神竜院がある。なお、八幡5丁目の一画に、昭和7年静岡市が建立した「八幡城跡」の碑があって伊勢長氏の居館跡と伝えられるが、詳らかでない。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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