長沼砦

ながぬまとりで
  • 名称ながぬまとりで
  • 俗称・別名茶臼山
  • 所在地-
  • 様式その他

鎌倉期からの土着の士である長沼五郎宗政の居城

長沼砦は、『駿河志料』に「俗茶臼山と云、形象似たる故に云、鎌倉家時代長沼五郎宗政此地に土着の士にて、其旧館の地なり」とあって、長沼五郎宗政の居城と他の諸書にも同様に伝え、その墳墓ともいわれる五郎松のあったことが記されている。
茶臼山については現在その位置を確認できないが、『駿河志料』に「愛宕山の東の尾上なり」とあり、また駿河国新風土記にも「長沼塁跡は愛宕山のほとりなり、山岸に五郎松と云ありて古墳あり、(中略)今の長沼の地にて沓谷の山続に今の俗、茶臼山と云所、この五郎松のほとりなり」とあってこれから推察すれば、谷津山東端、愛宕霊園の丘陵、通称観音山をさしていると考えられる。
標高32.6mの丘陵上にあって、霊園造成時に破壊され、遺構はつかめないが、中央高所部分とそれを東西にはさんで2~3段の曲輪が設けられていたと想像される。西側愛宕山山続きの部分を切通ノ坪ということから堀切があったと考えられる。
南に旧東海道、北に北街道をひかえる交通要衝地に接し、南北共に沼があったと云われる所から、小規模乍ら要害を呈していたと考えられる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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