津渡野城

つどのじょう
  • 名称つどのじょう
  • 俗称・別名筒野砦
  • 所在地-
  • 様式その他
  • 関連武将安倍大蔵 徳川家康

南北朝安倍城の支城の1つといわれている城砦

津渡野城は一説には南北朝安倍城の支城の一つといわれるが、明らかではない。(『静岡県郷土研究第1輯』)
『駿国雑志』に「武田の将高滝将監の居りし所なり」とあり、武徳編年集成永禄12年(1569)11月7日の条に、信玄駿州安倍郡津々野他5ケ所に砦を築き、これを家康が永井善左衛門以下七八十騎を安倍大蔵につけて攻めさせこれを落すとの記事があって、この時期を推察するに、『海野文書』中に天正5年(1577)9月11日付にて、安倍大蔵の安倍山中に於ける戦功に対する徳川家康感状(写)があることから、その築城及び落城は、元亀及び天正の初め頃と推察される。
津渡野城は、静岡市北部安倍川西岸津渡野集落の河岸段丘上にあって西麓を安倍梅ケ島線が通っている。段丘西北斜面に、段状になって空堀状の窪地を認める他は、曲輪等の範囲も確認できない。茶畑内にテコシ平(天子平)と呼ばれる所があってそこにまつられる山の神付近に井戸跡が見つかっており、落城悲話の伝承が伝わっている。
しかしこの場所は地理的に見て少し難があり、広大な規模を持つため、疑問の点が多い。むしろ、現津渡野集落及び宝津院裏の尾根、標高286mの天神山は北東に安倍川を控え、南は深い谷沢に面し、東側尾根続きも深い堀状を呈する地形を示し、周囲急峻な斜面となっているなど要害条件を有している。天神山及び宝津院裏の尾根上には数段の平坦部が見られる。また宝津院前の尾根部分を「出(デイ)死(シン)」と呼称されていることも落城に関係する地名ではなかろうか。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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