駿府城

すんぷじょう

駿府城
見どころ指南

江戸初期の姿が残る、本丸堀と二ノ丸水路

江戸初期の姿が残る、本丸堀と二ノ丸水路 ▲家康時代の石垣が現存。二ノ丸水路

駿府城は、三重の水堀に囲まれ、輪郭式の縄張りを持つお城です。内側の曲輪(くるわ)を本丸、中央を二ノ丸、外側を三ノ丸と呼んでいます。遺構は、三重の堀と石垣。二ノ丸堀は完全に残り、三ノ丸堀は東部を除く三方がほぼ完全に残っており、城下町の雰囲気を今に伝えています。本丸堀は明治時代に埋められてしまいましたが、平成2年(1990)度の発掘調査で南東角部分が確認され、公開されています。
二ノ丸の東側には、本丸堀と二ノ丸堀をつなぐ水路があります。平成4年(1992)度の発掘調査で確認され、そのままの状態で保存されています。二ノ丸堀から4回折れ曲がって本丸堀に到達するこの水路は、本丸堀の水位を保つ役割を果たしていました。堀底には、石畳状の石敷が本丸側約50メートルに渡り、大変珍しい構造になっています。また、水路には御水門多聞櫓(たもんやぐら)が造られていました。この部分には土台材が横に渡っており、侵入者を防ぐような施設があったと考えられています。水路の両側にある石垣の下方は家康築城当初のものと考えられ、駿府城跡の中でも大変貴重な遺構の一つです。

研究家たちを悩ます、謎多き石垣刻印

研究家たちを悩ます、謎多き石垣刻印 ▲北御門跡に残る刻印

堀に続く駿府城の主な遺構として、石垣があげられます。家康大御所時代の築城当時から江戸時代後期、さらに明治期以降の積み直しにいたるまで、時代によって様々な変化を遂げています。加工の仕方では、主に「打込(うちこみ)ハギ」と「切込(きりこみ)ハギ」、また石垣の出角部分には、「算木積み」が見られます。
二ノ丸北側の門である北御門跡には、天下普請(てんかぶしん)を示すような刻印が多く残っています。刻印とは石に刻まれている様々な記号のこと。駿府城跡で見つかっている刻印は、300か所以上で150種類以上を数えるといわれています。刻印は築城に関わった大名の家紋や旗印を表し、持ち場を示すためのものだったという説がありますが、家紋や旗印と一致していないものも多く、他の意味があるのではないかという研究者もいて、その謎はまだ解明されていません。駿府城築城に関わった人々のかすかな足跡をたどるべく刻印を探して回り、謎を推理するのも城跡訪問の楽しみ方の一つです。
貴重な遺構である石垣ですが、平成21年(2009)8月の駿河湾沖を震源とした地震で、4か所が崩れ落ちてしまいました。改修工事は平成23年(2011)3月に終了予定で(県庁東館付近の道路が工事のため通行止め)、二ノ丸堀部分は「切込ハギ」の手法を用い、約4割は崩落した石材を再利用するということです。

平成に蘇った「駿府城の戦闘機能」

平成に蘇った「駿府城の戦闘機能」 ▲圧倒的なスケール感。東御門の枡形

駿府城跡には、平成に入ってから静岡市が復元した二つの建造物、東御門と巽櫓(たつみやぐら)があります。東御門は、駿府城二ノ丸の東に位置する枡形門(ますがたもん)で、二ノ丸堀に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南と西の多聞櫓(たもんやぐら)で構成されています。枡形門は厳重で守備上大変堅固な門であり、塀に面する土塀には、鉄砲狭間(てっぽうざま)・矢狭間(やざま)など、戦闘に備えた造りを見ることができます。
東御門橋を渡り、高麗門をくぐると、広々とした枡形に出ます。この方形のスペースは武士たちを待機させる武者溜りになっており、ガイドさんによれば、収容できる人数は200人とも400人ともそれ以上だったとも言われています。枡形右手の堂々とした造りの櫓門は、梁に使われている巨大な木材が重厚さを加えていて、天下普請の建造物らしく圧倒的な存在感です。
一方巽櫓は、二ノ丸の東南角に設けられた隅櫓です。三層二重構造で、十二支の巽(辰巳)の方角に位置することから、この名で呼ばれていました。櫓は戦闘の拠点となり、望楼、攻撃、武器の保管庫として使われていました。
東御門と巽櫓に続き、二ノ丸南西の角に平成25年(2013)度坤櫓(ひつじさるやぐら)が蘇ります。
現在復元工事中で、「駿府御城惣指図」などの資料を参考に木造で再現されることになっています。

大御所時代を再現。精巧な模型の数々

大御所時代を再現。精巧な模型の数々 ▲五層七階、勇壮な天守閣模型

東御門と巽櫓の内部は、資料館になっています。入口では家康晩年の像がお出迎え。木の香り漂う内部には駿府城関連の展示物がたくさんあり、見応え十分。中でも駿府城下町模型、駿府城模型、また天守閣模型は必見です。
駿府城天守の実態は完全には明らかになっていないので、天守閣模型は現状でわかる限りの資料をもとに作られました。駿府城天守は、天守台の上にそのまま天守を建てたのではなかったということが、研究の結果わかりました。巨大な天守台を天守曲輪とし、周囲に隅櫓と多聞櫓を巡らした中央に、独立して建っていたのです。これは天守丸構造と呼ばれ、模型で再現されています。ミニチュアとはいえ迫力満点で、大御所家康の威光を感じさせてくれます。
他にも、二ノ丸堀から出土した大御所時代のものといわれる青銅製鯱鉾(市指定文化財)、家康公の手習いの間(臨済寺に現存する間の復元)なども見逃せないアイテムです。手習いの間は原寸で復元されたもので、迫力ある天井の龍の絵などが忠実に再現されており、家康の人格の基礎を作った今川人質時代の生活の一端を垣間見ることができます。

家康が見守る、大御所政治の中枢

家康が見守る、大御所政治の中枢 ▲天下を手中に収めた、大御所家康像

二ノ丸水路の西側、駿府公園中心部分が本丸跡です。その中央には、大御所家康の政務の場と居住空間を併せ持った最も重要な建物である本丸御殿がありました。そして本丸御殿の北西には、五重七階(六重七階の説あり)の天守が、そびえ建っていました。
明治時代、歩兵34連隊が使用することになった時に天守台が取り崩され平地にされたため、ここには往時の面影は残っていません。しかしながら本丸跡地の広々としたスペースに立てば、大御所家康が築城した駿府城のスケールの大きさを知ることができます。
天守閣跡の前方には、家康の像が堂々とした風貌で、鷹を手に彼方を見据えています。家康像の横には、家康手植えのみかん(県指定天然記念物)があり、毎年冬に収穫されます。紀州(和歌山県)から大御所に献上されたみかんの木を、家康自ら本丸御殿の紅葉山庭園に移植したものと伝えられています。
現在本丸跡は、桜の季節には静岡まつり、秋には大道芸ワールドカップin 静岡等のイベント会場として市民に親しまれています。そして市民の憩いの場がもう一つ。それは、二ノ丸北東角に位置する紅葉山庭園です。かつて本丸御殿にあった庭園の名を引き継いだ純日本庭園で、美しく澄んだ池、涼しげな滝を持つ凛とした雰囲気が、日常を忘れさせてくれます。四季折々で表情を変える自然の風景に癒されることでしょう。

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見取図

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