菅沼屋敷

すがぬまやしき
  • 名称すがぬまやしき
  • 所在地-
  • 様式その他

鎌倉末期から南北朝時代に居住していた菅沼氏の屋敷

『駿河記』に「菅沼氏五輪之墓、昔菅沼氏某と云武士ここに居住。家伝亡て不知」とあって、同所長島氏来住以前からの居住者と考えられる事から鎌倉末期頃から南北朝時代頃に居住し、室町期頃長島氏に追われ、滅んだ悲しい伝説が伝えられている。(『新玉川村誌』)
菅沼屋敷は西河内川の西岸河岸段丘上にあって、腰越集落南側に字菅沼の地名が残る。南北70m、東西40~50m位の規模と推定され、北側に、現在でも使用される共同の湧水井戸がある。
集落内に鉄仏地蔵堂があり、上腰越南、西河内川東岸の下腰越には文禄2年再建の白髭神社及びその境内に木造大日如来座像を安置する天正11年勧進になる大日堂がある。なおその東側茶畑内に、前述の「菅沼氏五輪之墓」があるが、これは実際は宝篋印塔で、塔下に石積による土まんじゅうが認められ、相輪部を欠くが、墓壇までの高さ52cm、笠巾20cmの大きさをもち、隅飾、塔身、基礎部分に輪郭を巻かない形態で隅飾の形状もわずかに外反りがする程度で直角に近く、墓壇部分の蓮弁は簡略化しているが、時代には南北朝末から室町初頭に属するものと考えられる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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