斎藤屋敷

さいとうやしき
  • 名称さいとうやしき
  • 所在地-
  • 様式その他
  • 関連武将今川氏親

今川氏親が一時難を逃れて居住していた斎藤氏の屋敷

宗長法師の『宇津山記』に「駿河国宇津の山は、今川被官斎藤加賀守安元しる所より(中略)、北にやや入て泉谷といふ安元先祖よりの宿所」とあって、斎藤加賀守安元の先祖からの居館があったことが知れる。また今川記、応永19年(1412)に斎藤加賀守の名が見えることから、応永年間初期にはこの地に斎藤氏の居館があったと推察される。
その居館跡の位置は、静岡市の西、旧東海道に面し丸子川に接する泉ケ谷の谷合中間点に位置し、西側山上に丸子城跡がある。泉ケ谷集落内を歓昌院坂越から牧ケ谷・羽鳥を経て駿府に入る古道が貫通している。
現在屋敷地の遺構ははっきりしないが、宗長『東路のつと』にも「草庵の隣家斎藤加賀守安元」と見えており、『駿河国新風土記』に「此古城のふもとに広き畠にて古井あり、古への屋舗の跡あり、地名をミカドと云、今は三角と書とも御門と云ことにや」とあって、宗長庵柴屋寺の並びの下から、谷口南の東西の山が谷にせり出し、地形上、段差の見られる部分までの範囲と見られ、この下の御屋敷と呼ぶ所までは含まれないと想像される。丸子城大手道とされる部分の現加藤家塀下に、新風土記記述の古井と考えられる井戸が埋没されている。
またこの地は文明年中今川氏親が一時難を逃れて居住した所(『宇津山記』)でもある。また斎藤氏以後もこの泉ケ谷は丸子城の居館地となったと考えられる。
谷奥には宗長手記他に見られる歓昌院、柴屋寺がある。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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