吉川館

きつかわやかた
  • 名称きつかわやかた
  • 所在地-
  • 様式その他

入江一族の有力者で、鎌倉時代に御家人として幾多の戦に参加した吉川氏の館

吉川氏は入江一族の有力者で、鎌倉時代に御家人として幾多の戦に参加し、とくに梶原氏討伐の恩賞として、播磨国福井庄の地頭を任ぜられ、承久の乱の戦功で安芸国に所領を安堵されている。正和2年(1313)嫡流は安芸に移住し、その末裔は周防国岩国の大名となる。
館の遺構は完全に消滅している。戦前の研究では「境域東方へ67間南北132間西南東の三方押廻の空堀の形あり…」と記され、単堀単郭式館であったことが推定されている。館の北端は巴川の南岸に接していたらしい。
周辺には、鍛冶屋敷、東・西屋敷、久兵衛屋敷など古地名があり、吉川氏家臣の屋敷跡との関連が考えられている。館の西方には、吉川氏の菩提寺安養寺や守護神若宮八幡宮が存した(吉川家文書)と伝えられるが、安芸移住と同時にその地に移転されている。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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