蒲原城

かんばらじょう
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駿河防衛・掌握の拠点

  • 名称かんばらじょう
  • 俗称・別名城山
  • 所在地静岡市清水区蒲原
  • 様式山城
  • 遺構曲輪、土塁、空堀、堀切
  • 城主・城将今川氏 北条氏 武田氏
  • 関連武将北条新三郎氏信 武田信玄 武田勝頼
  • 文化財指定静岡市指定史跡
行きやすさ 行きやすさ アクセス詳細

東海一の険難の地に建つ城

駿河国のほぼ中央にあって、東海道を見下ろし、駿河湾や由比・薩埵峠などへの眺望がきくため、駿河の防衛・掌握のための拠点として、今川・北条・武田の三氏が関わった蒲原城。遺構と史料がまとまって残され、特に在城していた人物の動向と変遷がわかる点が歴史的価値を高めています。

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「河東一乱」と呼ばれた、天文6年(1537)から同23年まで断続的に続く、今川氏と北条氏との富士川以東をめぐる抗争時に、富士川を境に左岸の吉原城は北条氏の、右岸の蒲原城は今川氏の前線基地となり、富士川を挟んで緊張状態となっていました。この時、蒲原城を守備したのが浜松城主の飯尾乗連をはじめ二俣昌長・原六郎など、遠江の国人や土豪たちでした。その後、駿・甲・相の三国同盟が結ばれてからも駿河の土豪たちが城番を務めていました。
永禄11年(1568)12月、武田信玄は駿河に侵攻し駿府を攻略。このとき信玄は蒲原城を攻めずに駿府入りを急ぎました。そのため蒲原城には今川氏真の家臣がそのまま残り、さらに間もなく駆けつけた北条氏信を大将とする北条氏の援軍が入城、ここを拠点に信玄の駿河封じ込めが行われました。その結果、信玄は翌年の4月下旬に兵を残して命からがら帰国することとなりました。
一方、翌月中旬には掛川城に籠城していた今川氏真が徳川家康と和睦し、婦人とともに蒲原城へと移りました。わずか2週間の滞在ながら、駿府を追われて半年振りの駿河帰還に城内はもとより国中に駿府奪回の機運が高まりました。蒲原城内では、今川家の家臣「蒲原在城衆」に加えて北条氏信の「加勢衆」が入り、さらに掛川城から撤収した北条家の家臣、大宮城を退城した富士信忠以下の籠城衆、さらに北条氏政が送った布施康能らの援軍が入るなど、大幅な兵力増強がみられ、それに伴って場内施設や曲輪の増設、改修・拡張などがなされたと考えられています。
これに対して信玄は、暮れに再び駿府めざして出陣しましたが、今度は蒲原宿や根小屋を焼き払うなど、蒲原城の総攻めに出ました。12月6日、城主の北条氏信をはじめ、弟の長順、清水・笠原・狩野介といった主だった武将が討ち死にしました。城を落とした信玄は、本曲輪に山県昌景を入れると、早速蒲原城攻略を国外の諸将に伝えました。その際の書簡に、蒲原城のことを「東海一の嶮難の地に候」「東海第一の地に候」など記して絶賛し、戦勝を誇っています。また、信玄自身も蒲原城に在って、北条氏に備えた城の改修を行いました。しかし、武田氏が駿河一国を手に入れると、強化すべき境目の城は駿東地域に移り、以後蒲原城が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。

成り立ち

蒲原城の創築に関する確実な史料はありません。しかし南北朝期には、既に存在していたようであり、室町期になり今川氏の勢力が拡大されて、今川氏の支城としての役目を持つようになり、天文14年(1545)頃には『東国紀行』によって飯尾豊前守が城番として在番していたことが判明しています。
出典:「静岡県の中世城館跡」

現在

蒲原城跡は、蒲原町の背後にそびえる標高約150mの城山に位置しています。城の背後の北方から西方にかけて流れる向田川は、深い浸蝕谷を形成して駿河湾にそそぎ、東方は深谷が入り込み、北方の一端のみが尾根によって連続しているにすぎないため、ほぼ独立の山容をなしています。蒲原城は、戦国期の堅城として知られ、現在なお築城遺構を明瞭に残す中世城郭です。
遺構から見た構造は、峰式の山城に属し、山頂に本曲輪を配置し、これを挟んでほぼ一線状に階段式に各峰を削平して曲輪を構築しています。本曲輪の北の外方に大空堀を設け、これを隔てて善福寺曲輪、その北端に北郭を接続させ、本曲輪より下って二の曲輪、西端部に三の曲輪を置き、三の曲輪より南端部にわたって、大規模な大手曲輪を構えています。そしてこれらの曲輪に付属する小曲輪が多くあります。以上の大小の曲輪は、いずれも山頂・山腹を削平して構築されており、有機的関連性を持ちながら、蒲原城の縄張りを立体的に構成し、地形を最大限に活かしてかなりの複雑さを見せています。
城跡とその周辺に、城山・根古屋・狼煙場・御殿山・常楽寺・陣出ケ谷・的場・寺平・善福寺等の地名が残されています。 現在城跡全体は、密柑畑と雑木林となっています。
出典:「静岡県の中世城館跡」

縄張図

縄張図

蒲原城跡概要図(作図:関口宏行『蒲原城跡総合調査報告書』2007より)
出典;静岡の山城 ベスト50を歩く

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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