金山砦

かなやまとりで
  • 名称かなやまとりで
  • 俗称・別名狩野山砦
  • 所在地-
  • 様式山城

東海道方面の押さえとして築かれた安倍城の出城と考えられる砦

沼館愛三氏の『静岡県郷土研究第1輯』の「安倍城の研究」の中で、今は金山というが、狩野山が金山に転化したといわれ、東海道方面の押えとして安倍城の出城であると記されている。
金山砦は、静岡市西部、安倍川西岸に接する独立した金山東端標高50mの山上に立地し、西に尾根続きになる他は、周囲共急峻な地形を呈している。
旧東海道及び大崩海岸道に接し、静岡西南部の押えとして、また物見的存在性格を有すると考えられ、古くより開かれた手越の地にあって、重要な地点に位置する。
山上は昭和18年頃移転された妙音寺の境内となって一部破壊されているが、東と西南尾根続きに数段の腰曲輪を設ける程の狭少な規模で、西南尾根続きに堀切が設けられている。
このように小規模な砦であるが、当時の地形状況は、その影響を残さないが、東に安倍川(当時は藁科川)に面して要害地形をなしていたと想像される。また当砦南方地帯は、観応2年(1351)9月南北朝両軍が激突した手越原古戦場で、丸子井尻地区には、その戦死者を葬ったと考えられる五輪塔墓塔群多数が存在する。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

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