籠鼻砦

かごはなとりで
  • 名称かごはなとりで
  • 所在地-
  • 様式その他

安倍川上流域の監視に適した賤機山城の西出丸と考えられる砦

籠鼻砦として記録に登場する砦は、賤機山城あるいはその出城と考えられ、賤機山城の縄張及び地形上からいって、山頂曲輪より西に出る尾根先端部分をさしていると見られる。
『駿河国新風土記』の籠上の条にこの附近の山を籠山、籠鼻と云ふとあることから、武田氏時代、賤機山城を籠鼻もしくは籠山と称していたと思われ、籠鼻は籠山の先端部の意と考えられる。
『瑞光寺文書』元亀2年(1571)9月17日付の籠鼻圓皆寺宛に「尚々籠山之儀無油断可被相守事肝要候」と見えており、この籠山相守は賤機山城をさしていると見て間違いないものと思われる。
これに見る籠鼻は西支尾根末端部標高123m上にあって、周囲極めて急峻な地形を示しており、賤機山城の西出丸と考えられ、2段の狭少な曲輪を配するのみであるが、ここよりの眺望は、本城の弱点である安倍川上流域の監視に適しており、東側各曲輪の斜面よりの攻撃に対しての監視も可能な立地となっている。そして本城に続く尾根の間には、土地で「切通シ」と呼称するように山上では見られない最大最深の堀切をもって切断している事から、捨て曲輪の要素を持っていると考えられる。
この出丸の利用は賤機山城と同時期と考えられるが、武田氏時代に堀幅の拡大がなされたと思われる。

上記は「静岡県の中世城館跡」(1981年・静岡県教育委員会発行)をベースに、
2010年8月現在確認がとれた情報について、加筆・修正を施し作成しています。

コメントする

このお城を共有・登録する